現代を見つめて(48) 冷静に受けとめる 文・石井光太(作家)
冷静に受けとめる
四月七日、新型コロナウイルスの拡大に伴って、政府は緊急事態宣言を出した。これによって指定された地域では、知事が住民に外出の自粛を要請できることになった。
とはいえ、以前から町には、いつもと変わらぬ様子で歩き回っている人も少なくない。これまで様々な人が、特に若者に対して苦言を呈してきた。
「若い人たちは感染しても重症化する可能性が低いから、感染拡大について真剣に考えていない。若者よ、自分の不用意な行動がどれだけ迷惑をかけるか考えよ」
私は、若者のすべてが自分勝手に遊び回っているわけではないと思っている。むしろ、大半は責任ある行動を取っているはずだ。
彼らは、自分がいろんな人たちの愛情や支えがあるからこそ平和な暮らしができていることを自覚している。家族が無償の愛を注ぎ、教師が真剣に向き合い、隣人がやさしく見守り、社会が温かく迎え入れようとしていることをわかっている。だからこそ、自分の不注意な行動で、大切な大人を傷つけたくないと考え、行動を自重する。
一方で、そうではない若者が一定数いるのも事実だ。大人たちが、そういう若者を批判したくなる気持ちはわからないわけではない。だが、一歩引いて考えてほしい。彼らがそう考えられないのは、果たして彼らだけの責任なのだろうか。
もし彼らが親に愛されたり、教師に向き合ってもらったり、社会に迎え入れられた経験がなかったら、他人を大切にし、思いやりを持って行動することができないのは当然だ。そうされたことのない人は、そうする必要性を想像することができない。だとしたら、彼らに身勝手な行動を取らせているのは、私たち大人の責任でもあるのではないか。
社会が危機に陥った時、良いことも悪いことも様々な形で表出する。悲しいかな、すべてはそれまで私たちが行ってきたことの結果だ。もし不本意なことがあれば、しっかり現実を見つめて、未来の社会のためにこれから自分が何をすべきかを考えるべきだろう。それをして初めて、危機を乗り越えた時に、より良い社会をつくっていくことができるはずだ。
プロフィル
いしい・こうた 1977年、東京生まれ。国内外の貧困、医療、戦争、災害、事件などをテーマに取材し、執筆活動を続ける。『アジアにこぼれた涙』(文春文庫)、『祈りの現場』(サンガ)、『「鬼畜」の家』(新潮社)、『43回の殺意――川崎中1男子生徒殺害事件の深層』(双葉社)、『原爆 広島を復興させた人びと』(集英社)など著書多数。