特集◆相模原事件から1年――私たちに突き付けられたものは?(3) 仏教・山崎龍明師
全ての人が生きる意味を教えてくれる
――私たちが考えておくべきことがあるのですね
全ての人の存在そのものに「意味」があるという考えを、大事にしていくことが不可欠だと思います。特定の「価値」だけで、人間に優劣をつける、これは、いのちの物質化、モノ化にほかなりません。これが意識化され、構造化されていく社会は、決して住みやすいものではないことは歴史が証明しています。やはり、全ての人の尊厳を大切にすることが差別や抑圧をなくし、平和を築いていく根本になります。
私はこれまで、障害児を持つお母さんたちとの出会いを頂いてきました。ご苦労は多かったと推察されますが、「不幸だと思ったことはありません」「いつも抱きしめたいような気持ちで接してきました」と多くの方が話されていました。「私に生きる意味を教えてくれたこの子は仏さまです」とおっしゃる方もいました。
だいぶ前のことですが、関西に住む全盲の小学生の詩に、私は心を揺さぶられました。その子は「もし目が見えたらお母ちゃんの顔を見たい」と創作しました。詩は、見ることができない自身の障害に触れながら、「不自由だけど、不幸ではないよね先生、」といった内容でした。
私たちは、障害者と触れ合うこともなく、「不自由」であることを「不幸」だと勝手に決め付け、同情したり、差別したりしてしまいがちです。さらに、「不自由なのだから生きていても仕方がない」といった誤った考えがあるとしたら、それがどれほど「いのち」にとって危険であり、悲しいことであるかということを深く認識しなければなりません。
「不自由だけれど、不幸ではない」。この言葉が出てくるまでに、この子はどれだけ苦しんだでしょうね。そうした人の思いを、懸命に生きている姿を共に分かち合っていくことが、私たち一人ひとりに強く求められます。「今、ここに生きている」ということが、いのちの真実であり、全ての人と共に生きることが各人の幸せにつながります。全てのいのちに「意味」があるのです。このことを大切にしていかなければと思います。