特集◆相模原事件から1年――私たちに突き付けられたものは?(1) 牧師・奥田知志師
残された課題
――事件に対して、加害者に共感する声がインターネットなどで見られました
被告は、経済的生産性というものさしで障がい者のいのちを選別し、「生きる意味のないいのち」だと主張して犯行に及びました。しかしそれは、被告自身が同じ価値観で自分を測られているというプレッシャーを感じていたからだと考えています。だから、社会に対して「自分は役立つ人間だ」と叫びたくて、犯行計画を政治家に送り、事件を起こすことで、強者の論理に乗っかろうとしたのではないでしょうか。
インターネットやSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)では、被告に共感する声も上がっていたようです。同調する彼らも、被告と同じような脅迫観念を抱え、強者の側に立つための切なる心の叫びを上げているかのように思いました。
残る課題は、今後、社会がこの事件をどのように引き受けていくかです。被告は司法に裁かれます。ただ、私たちは、ちょっと立ち止まって考えなければいけないでしょう。
「これだけの事件を起こしたのだから、おまえには生きる価値がない」。私たちが彼にそう言うならば、今度は、彼自身が言ったことを私たちが彼に言うことになります。この価値観を振りかざしてこの事件の幕を引けば、彼の犯行と同様に、私たちも心の中で彼を殺すことになります。しかし、被害者のことを考えると簡単に「ゆるす」とも言えない。社会自体が問われています。社会の隅に置かれ続ける人はいないでしょうか。自分がいつその立場に置かれても、不思議はありません。そのためにも、日常的に互いに助け合い、助けてと言える、つまり、いのちを尊重する社会をつくり出すことが重要だと思います。
プロフィル
おくだ・ともし 1963年、滋賀県生まれ。日本バプテスト連盟東八幡キリスト教会牧師。認定NPO法人「抱樸」代表理事。関西学院大学在学中から大阪・釜ヶ崎(あいりん地区)で路上生活者の支援活動にかかわる。著書に『もう、ひとりにさせない』(いのちのことば社)など。