特集◆相模原事件から1年――私たちに突き付けられたものは?(1) 牧師・奥田知志師

昨年7月、神奈川・相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で、入所者19人が殺害され、職員を含む26人が重軽傷を負う事件が起きた。元職員の被告(事件当時26歳)は事件前に、大島理森衆議院議長(当時)に宛て、自身の犯行は社会的に正当であるといった内容の手紙を送っている。事件後には、被告の感情の一部を肯定するかのようなインターネット上の書き込みも散見された。日本の社会は、障害者への差別をなくし、共生の実現を目指してきたはずだったのだが――。残忍な事件が起きた社会的背景について、宗教者を中心に4人の識者に話を聞いた。第1回は、ホームレス支援にあたる牧師の奥田知志師。

被告の胸にある危険な「正しさ」

――この事件をどのようにとらえましたか

この事件は、一人の青年が無軌道に起こしたものではなく、計画された犯行でした。報道によると、26歳(事件当時)の被告は事件前、大島理森衆議院議長に宛て手紙を出し、その中で「障害者は不幸をつくることしかできません」とつづり、日本や世界の経済のために殺すと主張しています。また、障がい者は私たちの経済の足を引っ張る、社会のお荷物のような存在、つまり「生きる意味のないいのち」だと断定しています。こうした考えを彼は「正しい」と確信し、「社会貢献」でもしているかのように犯行に及んだのだと思います。

彼の考えは身勝手なものです。ただ、彼は、そうした価値観を社会自体が持っていて、その「求め」に応じる力が自分にはあると主張していました。ここ数十年で日本社会は、経済的生産性や経済効率性に偏重した社会となりました。生産性が高いか低いかで「いのちの意味を区分する社会」になったと思います。この傾向は、私たち一人ひとりの中にもあるのではないでしょうか。この事件は、私たちに、そう問い掛けているように思えてなりません。

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