【ルポ】慶州ナザレ園を訪ねて 国境や宗教の垣根を超えた愛の力――本会一食平和基金の支援現場から

思い出が詰まった食堂で、カメラに向けてポーズをとる大吉さん(前)。宋園長(後)をはじめとする職員たちは、いつでもそばで温かく見守っている

3月26日から29日まで、立正佼成会一食(いちじき)平和基金の事務局スタッフと共に韓国南東部の慶州市を訪れ、同基金が支援する日系婦人保護施設の「慶州ナザレ園」を視察した。高齢化が進み、同園の援助を必要とする日系婦人は、現在、3人。保護施設としての役割を終える日が刻々と迫っている。同園の歩みとともに、入園者の近況、長年尽力する職員たちを紹介する。

奮励努力する金氏

韓国南東部慶州市郊外の、閑静な住宅街に佇(たたず)む「慶州ナザレ園」。日系婦人が入所する保護施設だ。同園では、第二次世界大戦中に韓国人男性と結婚するなどして渡韓した後、現地での差別や貧困によって苦しんだ日本人女性たちが暮らしてきた。彼女たちは、“戦争の被害者”である。

20世紀の初め、日本は韓国への政治介入を進め、1910年には韓国を併合。日本語の教育や神社参拝などを強要する「皇民化政策」を行った上、『内鮮一体』をスローガンに掲げ、日本人女性と韓国人男性との結婚を推奨した。こうした植民地支配は、45年に日本が敗戦するまで続いた。

韓国の独立後、多くの日系婦人は、夫の祖国で生活する道を選んだ。ところが、団らんの夢はすぐさま打ち砕かれる。待っていたのは、強い反日感情を持つ人々から疎外され、朝鮮戦争で愛する夫や子どもと離れ離れになるなど、つらく耐え難い日々だった。

孤独で厳しい生活を送る日系婦人に手を差し伸べたのは、敬虔(けいけん)なクリスチャンである故・金龍成(キム・ヨンソン)氏。韓国での社会福祉事業の第一人者だ。72年に同園を設立し、日系婦人の保護とともに、国籍の確認や日本にいる身元引受人の調査を行い、帰国援助を進めた。献身的な活動からは信じ難いが、金氏の父親は植民地時代、抗日運動に従事して投獄され、官憲から拷問を受けて亡くなっている。壮絶な背景を持ちながら、金氏は私財を投じて支援し続けた。それは、日本が韓国を統治した時代に韓国人を愛し、母国を離れて渡韓してくれた日系婦人を大事にしなくてはならないとの志があったからだ。いのちを尊び、国境や宗教などの垣根を超えた金氏の行動は、本会が大切にする「一乗」の精神に通じていた。

87年に、本会一食平和基金による同園への支援が開始。これまで37年にわたり2億円以上が支援され、その浄財は、施設の運営や建物の改築、在宅援助者へのサポートに充てられてきた。

信仰心の篤い宋園長

視察メンバーが園の敷地内に車で入っていくと、スーツに身を包んだ宋美虎(ソン・ミホ)園長(73)が建物の入り口から顔を出した。同基金事務局長の秀島くみこ総務部主幹(渉外グループ)は、10年ぶりの訪問だ。「お久しぶりです」とあいさつを交わすとすぐに、思い出話に花が咲いた。思いがけなかったのは、宋園長の流暢(りゅうちょう)な日本語。入園者との日常会話や日本のテレビ番組の視聴を通して身につけたと言う。韓国語と日本語を巧みに使い分けて仕事に励む姿が、とてもエネルギッシュだ。

宋園長は、33歳の時に同園を初めて訪れた。地元ソウルで金氏が運営する孤児院に、ボランティアとして足を運んだ際、同園を紹介されたことがきっかけだった。そこで目にしたのは、運営スタッフ同士のいざこざで傷つく入園者の姿。大変な状況でも、礼儀や謙虚さを忘れずに過ごす入園者を見て、〈彼女たちの安住の地を守りたい〉との思いが湧いた。当初は短期間の奉仕活動を予定していたが、継続することを決意。以降、園の運営に携わり、住み込みで入園者の介助をするほか、国籍の調査や帰国の支援を行ってきた。

練習を重ねたダンス大会、みんなでケーキを食べて祝った誕生日会など、アルバムにはさまざまな思い出が残されている。「こちらも見てください!」。宋園長の話は尽きない

園内の事務室で宋園長は、数冊のアルバムをめくりながら、1枚1枚の写真に込められた思い出を昨日のことのように振り返る。楽しげに話していたかと思うと、ふと、「昔は、口が達者なおばあさんばかりでにぎやかでした。人数が減ってしまった今、すごく寂しいです」とつぶやいた。

園の運営や在宅援助は一筋縄ではいかず、常に資金繰りに苦慮した。それでも、熱心なキリスト教徒として〈神様から頂いた使命〉と受けとめ、自らの給料の全てを運営費に回し、日系婦人の幸せを一心に願って乗り越えてきた。

そうした日々の原動力は、入園者との触れ合いが大半を占めると宋園長は言う。丁寧に感謝を伝えてくれる姿、おいしそうに食事する姿、訪問者と楽しそうに交流する姿……そうした姿が宋園長の心を満たしてきた。「園長を担うことが私の宿命とはいえ、おばあさんたちとの触れ合いに満足感がなければ、続かなかったかもしれない」。真剣な表情から一変し、「ナザレ園に来て40年。毎日が充実していたので、まだ40日しか経っていないように感じます。来世も人間に生まれたら、またここで働きたい」と顔をほころばせた。

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