頼れる人、場所、心――青少年の居場所を考える

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不登校や虐待など、子供たちを取り巻く問題が取り沙汰されて久しい。学校や家庭に安心できる居場所がなく、身近に悩みを相談できる大人もいない。そんな青少年を支援するための「居場所」づくりが課題となっている。今回の特集では、会員の体験と早稲田大学の阿比留久美教授の談話を紹介し、青少年から頼られる人となるため、地域の大人にできることを読者と共に考えたい。
(体験者の記事は、プライバシーに配慮し仮名とする)

本当の気持ちを表現できない苦しみを抱えて

友人が離れていき不登校に…… 中村彩佳さん(仮名)の体験から

ある日の朝、当たり前だと思っていた学校生活が一変した。仲良しグループのメンバーにあいさつすると、目をそらして、無視されたのだ。高校2年生だった中村彩佳さん(仮名・20)は、ショックで言葉を失った。

その後、メンバー一人ひとりに謝り、自分を避ける理由を聞いた。「彩佳は友達を大切にしない」。その言葉が胸にこたえた。みんなの態度が冷たくなったのは、小学校からの友人に漏らした他のメンバーへの不満が伝わったことが原因だった。

ふさぎ込む中村さんに寄り添う級友もいた。しかし、メンバーが中村さんと話さない方がいいと周囲に吹聴するうち、級友も離れていった。中村さんは、本を正せば自分の言動に問題があったと自己嫌悪に陥り、周囲の視線におびえ、ついには学校に行けなくなった。

泣きながら布団にこもる日が1週間ほど続いた。〈このまま私は死んでいく――〉。不登校となった自分の未来に希望を持てなかった。そう考えること自体が申し訳なく、家族にも相談できなかった。

見かねた母親が中村さんを教会に連れ出した。〈この状況を変えたい〉と思い、自分を奮い立たせた。教会道場に着くと、「彩佳ちゃん、よく来たね」と多くのサンガ(教えの仲間)に声をかけられた。心配した教会長から学校での出来事を聞かれたが、その時は思い返すのも苦しくて話せなかった。

しかし後日、教会長に再び声をかけられた。自分を心配し、向き合おうとする温かさに背中を押され、一人で抱え続けた感情を打ち明けた。その全てを否定せずに受け入れてくれた教会長から、「あなたの人生は終わりじゃない。今から始まるから」と言われ、自分次第で未来は変えられると気づいた。「いつも温かく接してくれるサンガに恩返しをしたい」との思いが生きる希望となった。

1カ月後、けじめをつけるために改めてメンバーに謝罪し、通信制高校への転校を決断した。卒業後は都内の専門学校に進学し、かけがえのない仲間と出会い共に学びを深めた。今春には、社会人として一歩を踏み出した。自分を力づけてくれたサンガのように、誰かの支えとなることが、恩に報いる生き方だと信じている。

父への感情を今も心にしまって 森山武士さん(仮名)の体験から

子供の頃から、家庭の中では“嵐”が吹き続けていた。家中に響く父親の怒鳴り声、殴られて倒れ込む母親の姿――。部屋の隅で身を潜め、事態が収まるのを待つことしかできなかった当時を語る時、森山武士さん(仮名・53)の全身はグッとこわばった。

短気な父親は、人の意見を受け入れられず激高することが多かった。職場でも、上司や同僚と衝突し、転職を重ねた。家庭では、ささいな事で母親と口論になり手を上げ続けた。森山さんが中学3年生の時、耐えかねた母親は子供3人を連れて近隣の実家に身を寄せた。話し合いの末、1年後に再び同居を始めたが、父親の乱暴は続いた。暴れる父親を止めたこともあったが、事態は収まらなかった。

いよいよ愛想が尽き、森山さんは父親に対する感情の全てを心の奥に閉じ込め、誰にも話さなかった。高校生になると、部活やアルバイトなどで放課後の時間を埋め、深夜の帰宅が日常になった。「父親と顔を合わせたくない」。その一心だった。

親の日常的な暴力が子供の精神状態を不安定にし、非行の誘因となるケースも少なくない。しかし、森山さんはそうならなかった。中学1年生の時に出会って以来、一緒に教えを学び励まし合う佼成会の仲間がいたからだ。

特に、鼓笛隊のメンバーとは練習などを通して心を温め合ってきた。リーダーを任された時、先輩が自分を信じ、後押ししてくれたことが本当にうれしかった。フェスティバルに向けて一丸となって取り組み、無事に演奏を終えた喜びを仲間と分かち合ったのを今も鮮明に覚えている。気が置けない仲間といると、家のことを忘れて心底から安心できた。

出会いから約40年。森山さんは、今も仲間と共に精進を続ける。「教えや、佼成会のサンガのおかげさまで、一つ一つの縁を通して人間性を高める生き方をしたいと思えた」と振り返る。2年前に他界した父親を今も認められずにいるが、向き合いたいと思う気持ちが少しずつ芽生えている。