人間釈尊に学ぶーー試行錯誤を重ねて生きる

釈尊に感じる「隣のおじさん」のような親しみ 【東洋大学名誉教授 森章司】

一人の人間である釈尊に、「隣のおじさん」であるかのような親しみを覚える――失礼ながらそう表現するのは、長年の仏教学研究、そして平成4年から28年にわたり、中央学術研究所の委託で行った「原始仏教聖典資料による釈尊伝の研究」を通して私が釈尊に抱いた純粋な思いです。釈尊はいつも一緒にいてくださり、「自分と同じように煩悩を滅して、宗教的な最高の境地に達してほしい」と願い、教えを説いてくださったと受けとめています。

当時の仏弟子たちも、釈尊に強い親近感を持っていました。原始仏教聖典を読むと、釈尊は仏弟子たちの集いに自ら参加して話を聴いていたと分かります。ある仏典には、比丘たちの外出時に阿難と僧院内を回り、腹痛で汚物にまみれた比丘の体をきれいにして看病したとあります。仏弟子と共に生活しながら、皆が悟りを得られるよう心を尽くしていたのです。

一方で、教団運営は試行錯誤の連続で、釈尊は80歳で涅槃に入る直前まで戒律の制定、廃止を続けました。

釈尊教団では当初、釈尊から直に具足戒(比丘が遵守する戒律)を与えられた人しか出家できませんでした。しかし、教えが弘まると、遠方にいる出家希望者の中に退転する人が増えたのです。そこで釈尊は、成道から8年後、出家希望者が仏法僧(三宝)に帰依すれば、比丘でも具足戒を与えられるようにしました。

ですが、釈尊の目が届かず規律が乱れ、布施である食事の品を指定したり、大声を発したりする不行儀な比丘が現れました。これを受け、釈尊は比丘たちが合議で出家の是非を決める「羯磨(かつま)具足戒」を制定しました。新人から長老までさまざまな比丘が参加し、釈尊も同じ立場で立ち会っていたのです。これは後に、教団運営の基本規則となりました。

また、前ページにもあるように、「自恣」の制を定めました。この場に釈尊自身も立っていたと知り、私は感動で涙が溢れました。釈尊が自身と仏弟子を区別することなく、皆を平等な存在と受けとめていた証しだと感じたのです。

このように、釈尊は教団への批判を真摯(しんし)に受けとめ、自身を含む修行者が模範的な生活を送るための合理的な視点を持っていました。

一方で、原始仏教聖典には、たくさんの過去の仏たちの話が出てきますし、釈尊はご自分のことをブッダとは呼ばず、常に如来と仰います。法華経の中の釈尊は「如来寿量品」で、「自分は成仏してから百千万億那由他阿僧祇劫ほど時間が経った」と宣言します。実は歴史上の釈尊も、「自分は過去の諸々の仏の如くにこの世界に現れ来った」という自覚をもっておられました。要するに、久遠の本仏と一体になったという自覚だといってよいと思います。だからこそご自分のことを「如来」としか呼ばれなかったのです。現実に即して教えを説かれる釈尊が、なぜ超常的なことを仰るのか――長年の疑問は、法華経を学ぶことで少しずつ解けていきました。

なお釈尊は、「私は仏になる道しか説いていない」と仰っています。その教えに学び、沿った生き方をして、皆さまと共に仏になる道を歩んでいきたいものです。

プロフィル

もり・しょうじ 1938年、三重県生まれ。東洋大学名誉教授。同大学院文学研究科仏教学専攻博士課程修了。博士(文学)。著書に『初期仏教教団の運営理念と実際』(国書刊行会)、『仏教がわかる四字熟語辞典』(東京堂出版)など多数。