人間釈尊に学ぶーー試行錯誤を重ねて生きる

釈尊が比丘たちと共に雨安居を過ごした祇園精舎(絵・つるみ ゆき)

約2500年前の4月8日に釈尊は降誕した。現世に生まれた“人間釈尊”が、老い、病を患う中で試行錯誤しながら布教に歩いた言行録が原始仏教聖典として残されている。そこで説かれた教えが現代に伝わり、私たちの人生の指針となっている。降誕会にちなみ、東洋大学名誉教授の森章司博士に聞いた、人間釈尊を象徴する逸話を談話と共に紹介する。

サンガに反抗されるブッダ

世尊が69歳の時、遊行(ゆぎょう)で立ち寄ったコーサンビーという町で、現地の比丘(びく。出家修行者)の一人が罪を犯した。しかし、その比丘が罪を認めなかったため、比丘たちは戒律の遵守をめぐって二手に分かれ、争い始めた。一人の比丘から仲裁を求められた世尊は、それぞれの言い分を聞いて、和解を促した。

しかし、比丘たちは、「世尊よ、待ってください。世尊は何もしないで現法楽住に住して安楽に過ごしてください。この論争は私たちのものですから」と、受け入れなかった。そこで、世尊は過去世のブラフマダッタ王(梵施王)の故事を示し、「恨みをもって恨みは消えない」と説かれたが、この話を聞いてもサンガは仲直りしない。

すると世尊は、待者の阿難にも告げず、サンガの輪から離れてしまわれた。コーサンビーから舎衛城(しゃえじょう。古代インドの大都市)までの200キロもの道のりを一人で歩いた。そして、パーリレッヤカという園林で、群れから離れた1頭の象に会い、「人竜(釈尊)と象竜とは、心を等しくして一人林を楽しむ」とつぶやいた。

森博士の見方

私の想像に過ぎませんが、比丘が釈尊に進言した「現法楽住に住して安楽に過ごしてください」とは、一時的にサンガの輪から外れてくださいという意味だと考えます。釈尊は比丘たちの争いを止められず、コーサンビーから一人でとぼとぼと歩かれたのです。その背中には、悲哀が張り付いていたと思います。そして、群れから離れた1頭の象に自分を重ね、同じ心境を慰め合われたのです。

その後、コーサンビーの比丘たちは、「世尊を悩ませ去らせた」として在家信者から供養を受けられなくなりました。最後には反省し、釈尊のもとを訪れて教えを受け和合しました。

サンガの一員だったブッダ

70歳を迎えた頃、舎衛国の東園鹿子母(とうえんろくしも)講堂で、500人全員が阿羅漢(あらかん)の大比丘衆と共に住んでいた。

ある時、雨安居(うあんご。雨季の特別な修行期間)の布薩(ふさつ。自身の罪過を省みて懺悔=さんげ=する儀式)の中で、「自恣(じし)」が行われることになった。自恣とは年に一度、サンガを前に「自分が気づかずに犯してしまった罪があれば指摘してください」と申し出る儀式である。

釈尊教団では、出家修行者が罪を犯した場合、自ら告白して懺悔するというのが大原則だった。教団から追放される波羅夷(はらい)罪(不殺生・不偸盗=ふちゅうとう=・不邪淫=ふじゃいん=・不妄語)などの重罪を除いてサンガが他の修行者の罪を告発することはできなかったが、この日だけは許された。

そして、何とこの時、世尊が弟子たちの前に歩み出て、「比丘らよ、私は自恣します。私の身・語ともに非難されるべきことがあるだろうか」と告げられたのである。舎利弗はすぐさま座を立ち、「世尊に非難すべきものはありません。私もまた世尊に自恣します」と願い出た。

これに対し、世尊は「あなたの身・語に何ら非難されるべきことはない。この500人の比丘たちにもない」と答えられたといわれている。

森博士の見方

「一切智(全ての物事を完全に知る智慧=ちえ=)」を有していたとされる釈尊が、気づかずに罪を犯すとは考えられません。一般の比丘と同様に雨安居の布薩に臨み、自恣を申し出ることで、釈尊もサンガの一員という「平等性」を示したのです。

釈尊自身も比丘たちも、「ブッダは超越的な特別な存在」とは考えていなかった。自恣のエピソードは、まさしく釈尊の“人間宣言”と捉えてよいでしょう。私はこの話に触れ、「人間ブッダ」と考えるようになったのです。

病気を患い、老いるブッダ

菩提樹下で成道した7日後、商人の供養した麦焦がしを食べたために神経系の病気を患い、薬となる呵梨勒(かりろく)の実を飲み治療した。また、食中毒のような症状が出た時には、マガダ国の名医・ジーヴァカが調合した吐下薬を服して回復した。

さらに、世尊には持病の「背痛」があり、66歳の頃から舎利弗や摩訶迦葉などの高弟に説法を代わらせることもあった。70代になると背痛が頻出し、その都度、侍者の比丘が体を湯で洗い、蘇油(牛乳から製したバターのような油)や蜜を差し上げていた。

世尊は怪我の痛みにも耐えた。鹿野苑(ろくやおん)で岩の破片で足を傷つけた時には、強く、不快な痛みを感じていたがそれを忍ばれていたこともあった。

80歳になった世尊が祇園精舎で過ごしている時、阿難は、両手で世尊の足をさすりながら、皮膚のたゆみに世尊の老いを実感した。

同じ時期、ヴェーサリーの竹林村で雨安居に入られた世尊は、病のため激痛に見舞われた。案ずる阿難に世尊は、「私は老齢に達し、古い車が革ひもの助けを借りてかろうじて動いているようなものだ。私の死後、自らを灯明とし、自らをより所として、他人をより所とせず、法を灯明とし、法をより所として、他をより所とせずに住しなさい」と説かれた。

森博士の見方

『法華経』本門に登場する釈尊は久遠実成仏であり、人間を超えた容姿である三十二相を具し、白毫(びゃくごう)から光を放って三千大千世界の隅々まで明らかにするなどの超能力を持っていたとされます。

しかし、原始仏教聖典に登場する釈尊は寿命があり、いつかは老い、死を迎える「人間ブッダ」です。病気になれば医者にかかり、痛みに耐えるお姿は人間そのものだと思いませんか。

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