【詳報】比叡山宗教サミット35周年記念 「世界宗教者平和の祈りの集い」 平和への歩みを未来につないで

シンポジウムでは、環境保護に向けた市民一人ひとりの心のあり方や行動の大切さについて、さまざまな視点から発表がなされた

『気候変動と宗教者の責務』をテーマに、比叡山宗教サミット35周年記念「世界宗教者平和の祈りの集い」が8月4日に開かれた。国立京都国際会館での開会式典では、一般財団法人日本総合研究所会長で多摩大学学長の寺島実郎氏が『歴史的大転換期における宗教―心の回復力(レジリエンス)を求めて―』と題して記念講演。続いて、同集いのテーマに合わせ、識者4人によるシンポジウムが行われた。要旨を紹介する。(文責在編集部)

記念講演

『歴史的大転換期における宗教―心の回復力(レジリエンス)を求めて―』
 寺島実郎氏 (一般財団法人日本総合研究所会長、多摩大学学長)

2035年に、人工知能(AI)が人間の能力を超えるだろうという研究があります。これが果たして本当だろうかということを、人間の心の観点から考えたいと思います。キーワードは「認識」と「意識」です。

近年、囲碁や将棋の世界では、数千万の対局データを学習したAIがプロ棋士に勝つということが現実に起きています。学習して記憶し、ある目的に対して合理的かつ最適な手段を選ぶという「認識」の分野では、将来、AIが人間をしのぐ世界を生きることになることは明らかです。

一方で、人間の「意識」はどうでしょうか。こんな話があります。1969年、アポロ11号が人類で初めて月に降り立ちました。月面でアームストロング船長とオルドリン操縦士は、地平線の彼方(かなた)に昇る青く輝く地球に目を奪われました。そして、顔を見合わせて涙を流したというのです。二人は、遠く離れたふるさとの地球に残した親や兄弟、恋人、友達を思い、自然と涙を流したといいます。

技術が発達し、惑星の位置や動きは、コンピューターで正確に計算することができるようになりました。ただ、どれほど精度の高い機器を開発し、より多くの情報を「認識」することができるようになったとしても、コンピューターは涙を流しません。この、人間の「意識」の深さは、AIには超えることのできない人間の力だと思います。

また、人間は合理的と言えない行動を取ることがあります。目の前に、川で溺れている子供がいたら、すぐさま飛び込んで助けに行く人の姿を想像してみてください。飛び込む前に、自分の泳ぐ能力を計算する人はいませんよね。家族や恋人、子供のために自らの命を懸ける時、人は利害や打算、合理性を超えて踏み込んでいく。そうした情念のようなものを持って生きることこそ、人間の人間たるゆえんではないでしょうか。

その人間がつくり出した宗教は、偉大な可能性と恐ろしさを併せ持ちます。歴史上、宗教と国家権力が一体となることで正常な判断ができなくなり、戦争に突き進み、それを美化・正当化してきた過去は数え切れません。

宗教者に欠かせない利他性や正義の視点

一方で、宗教は分断や対立する人々の対話の基盤になる可能性を持っています。宗教者は、自分よりも大きな力や意思、いわば「神仏に見つめられて生きている」という謙虚な姿勢を持って相手の立場に立ち、共感力を働かせて相手と向き合うことができるからです。

この力は、地球環境をはじめとした世界の諸問題の解決に欠かせないものではないでしょうか。宗教は、利他性や正義といった、人間の意識の高まりの結晶だと、私は感じています。今、さまざまな課題と真摯(しんし)に向き合う中で、宇宙的視野から考えられたルールや秩序をつくり上げることが求められています。これには、利他性や正義といった、宗教者の視点は欠かせないものです。人類のあるべき姿は、宗教が基点となり、利害や打算、合理性を超えて導き出される――私はそう思っています。

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