心ひとつに――東日本大震災から10年 庭野貴市原町教会長に聞く

直接会えずとも「あなたを思っている」という温かい心でつながる

私は昨年12月、原町教会長を拝命しました。

原町教会は、東日本大震災とその後の東京電力福島第一原子力発電所の事故により、深刻な被害を受けました。影響は今も続いており、全6支部のうち原発から半径20キロ圏内にあたる浪江、大熊、富岡、都路の4支部では会員さんのほとんどが県内外に避難しています。

原発事故の発生後、情報が錯綜(さくそう)し混乱する中で、当時の西村知久教会長さんが何度も避難所や遺体安置所に足を運び、また、会員さん同士も電話で連絡を取り合い、散り散りになったサンガ(教えの仲間)の無事を確認されたそうです。離ればなれになった会員さんが再会したのが、震災後に東京の本部で実施された「やわらぎツアー」でした。

私は当時、参拝受入グループのスタッフとして、原町教会の皆さんを第二団参会館でお迎えしました。参加者の中には、他県の避難先から直接本部に来られた方もいました。行程最終日、帰りのバスの前で、出発間際まで語り合い、涙ながらに別れを惜しむ皆さんの姿を、今でも覚えています。

現在も、6支部のうち2支部が支部長不在のままです。県外に避難する主任さんも多く、4支部の支部長さんが主任さんの役割も担われています。大変なご苦労がありながら、現状を悲観せず、自分が今いる場所で菩薩行を実践されています。

昨年来、新型コロナウイルスの感染拡大で、どの教会も大人数で集えなくなっています。状況は違いますが、原町教会の皆さんは、震災以来ずっとそうであり、電話や手紙で心をつないでこられたのです。現在も、県内外で避難生活を続ける250世帯に毎月、機関紙誌を郵送し、思いを寄せています。直接会えなくても「あなたを思っている」という温かい心は通じるのだと、会員さんの姿から教えて頂きました。

また、「原発事故」は今も皆さんの中で続いているのだと感じます。包括地域には帰還困難区域が今も残り、避難した会員さんの中には故郷に戻りたくても戻れない方がいます。一方、避難先で新たに仕事を始めたり、家庭を持ったりして帰還を断念した方も少なくありません。地元に残った方も放射能への不安や葛藤を心に秘めながら生活しています。それぞれに苦悩を抱えながら、それでも「原町教会の一員」との思いを胸に、サンガの絆を皆で守ってこられたのだと実感します。

市外に避難されたある幹部さんは、震災直後で道路が規制される中、迂回(うかい)路を使い半日以上かけて教会に通い、一時閉鎖された道場内の清掃やお給仕などをしてくださいました。その方が二人三脚で教会を守ってきた信仰の友に宛てた手紙には、先の見えない不安の中でつらいこともうれしいことも教えに照らして受けとめ、互いを励まし合った日々が記されています。

また、津波で夫と家を失った幹部さんは、ご供養を通して大切な人を偲(しの)ぶ中で少しずつ心を整え、サンガの無事を念じることで生きる希望を見いだされたといいます。どの体験を伺っても、私は胸が熱くなります。

これまで原町教会は、国内外から温かいご支援を頂いてきました。今も応援のメッセージが届きます。また、震災当時から狩野光敏・元福島支教区長さんのご指導により、「心に本仏を勧請する」という開祖さまのご法話を心の支えにしてきました。仏さま、そしてサンガの存在によって「自分は一人ではない」と思えることが、どれほど会員さんの勇気になったでしょう。たくさんのご縁の中で温かい心が育まれてきた――私はそう受けとめています。

会長先生は今年の『年頭法話』で、苦悩しながらも困っている人に手を差し伸べる、それが菩薩の心と教えてくださいました。この10年、被災しながらも慈悲の心で「まず人さま」に徹してこられた原町教会のお一人お一人が菩薩さまです。私もサンガの一員として目の前のご縁を大切にし、思いやりの心を発揮していきたいと思います。