第16回奈良県宗教者フォーラム 庭野会長の基調講演 要旨
家庭は人が育つ根本道場
それでは、「和」の心を育む人づくりについて話を進めてまいります。中国古代の思想書である「管子(かんし)」に、次のような一節があります。
「一年計画ならば穀物を植えるのがいい。十年計画ならば樹木を植えるのがいい。終身計画ならば人を植える(育てる)のに及ぶものがない」
つまり、社会や国の将来を考えるならば、人を育成することが最も重要であるということであります。本日のテーマに沿って言い換えるならば、この世に平和を築くためには、「和」の心を育む人づくりが不可欠ということでありましょう。特に、人の幼少年期、青少年期の教育は、その後の一生を左右すると言われるほど大切なものです。
人間の脳は、三歳ぐらいまでに、大人の機能の八十%まで成長すると言われます。五、六歳までには、性格の型が決まるそうです。記憶力、注意力は、十二、三歳頃が最も旺盛で、ほぼ十六、七歳で人間ができ上がると言われております。これは驚くべきことです。だからこそ、家庭や学校での教育のあり方が問われるのであります。
これまで多くの子供たちが、他の人よりも勉強ができてこそ、将来の幸せが手に入るかのように、思い込まされてきました。しかし、本来、人間の価値は、成績の内容で判断できるほど単純なものではありません。子供たち一人ひとりには、素晴らしい個性があり、各自が絶対的な尊厳を持っています。もちろん勉強も大事ではありますが、本来は、明るく、優しく、温かい人間となり、自分の生きる場で「和」の心を実現していくことが、最も大事なことであります。
その意味で私は、人格の形成は、やはり両親によってこそなされるのであり、教育の根本は、家庭教育にあると考えています。
子供たちは、親の姿を見て、真似(まね)をして、育っていきます。子供が身近な人の言動に、どれほど大きな影響を受けるかについて、アメリカの著述家で、カウンセラーでもあるドロシー・ロー・ノルトという方が、著書の中で、次のような要素を挙げています。
子どもは、憎しみの中で育つと、人と争うことを学ぶ。
子どもは、馬鹿にされて育つと、自分を表現できなくなる。
子どもは、嫉妬の中で育つと、人をねたむようになる。
子どもは、辛抱強さを見て育つと、耐えることを学ぶ。
子どもは、励まされて育つと、自信を持つようになる。
子どもは、存在を認められて育つと、自分が好きになる。
子どもは、まわりから受け入れられて育つと、世界中が愛であふれていることを知る。
このほかにも、十の項目が列記されています。いかに親の言動が大切であるかが、身に染みて感じられる内容であります。
家庭は、人間形成の根本道場です。子供たちの心を育んでいくには、何よりも家庭内に「和」を築かなければなりません。そして、家庭に「和」を実現するには、そこに慈悲の精神、愛の精神があることが不可欠です。慈悲は、仏教の根本、仏道の根本と言われるほど大事なことだからです。
子供が家庭の中で、常に親の思いやりのある言動に触れていたならば、自(おの)ずと健やかな人格形成が図られていくに違いありません。そのことがあってこそ、学校での学びも真に生かされていくと思うのです。
子供だけでなく、大人の世界も同様です。一人ひとりの人間に真に力を与えるのは、慈しみ、思いやる心であります。
人を慈しみ、思いやる心ほど、人を勇気づけ、力を与えるものはありません。日々の生活の中で、このような慈悲の実践、愛の実践ができることこそ、本当の宗教的な生き方であると思います。
スッタニパータは、次のように教えています。
「あたかも母が自分の一人息子を命にかえても守り抜くように、一切のものに対しても同じように、限りない慈しみの心をおこさなければならない」
これが、私たちが最も大事にすべき精神であり、各宗教が共通して教えていることではないかと思います。「慈悲」の「悲」、「かなしい」という文字は、子供のことを心底から案ずる母の感情を表していると言われます。
また日本の古典では、「愛情」の「愛」という字をあてて、「愛(かな)し」と読みます。そこには、愛に満ちた母のように、人々の心に寄り添い、悲しみ、苦しみを分かち合うことの大切さが教えられています。こうした慈しみ、思いやる心が、この世に「和」を実現していく根幹であると信じております。