WCRP/RfP 第10回世界大会宣言文(仮訳)

慈しみの実践:共通の未来のために――つながりあういのち

我々は、心の内奥にある聖なる体験と、表面に現れる社会生活を一つにつなぎあうことで、WCRP/RfPが「つながりあういのち」と呼ぶ積極的平和の状態をつくり出すことを求められている。聖なる存在がさまざまな形で体験されることによって明らかになるのは、我々が皆、根源で聖なる存在や、聖なる存在によって生み出され、抱かれているすべてのいのちにつながっているという事実である。根源でつながりあっているがゆえに、我々の幸福は本質的に共有されている。他者を助けることは、自分自身を助けることであり、他者を傷つけることは、自分自身を傷つけることを意味する。我々は女性や青年の重要な役割を十分に認識し、今後もその不可欠な貢献を活動の中心に据えていく。我々のさまざまな伝統が明らかにしているのは、聖なる存在によって我々人類は互いに責任を負い、依存しあい、さらに我々のいのちを支えている地球に対して責任を負うものとなったということである。つながりあういのちは、人間の尊厳が近代秩序によって守られるために、我々があらゆる努力を惜しまないことを求めている。さらに、我々の宗教に対し、建設的な精神をもって、そうした努力を補完することを求めている。我々は自由が根源的に重要であるとする近代秩序の認識に賛意を表する。しかし同時に、我々は自由の聖なる基盤を実例で示すことを求められている。それは、ニヒリズム(虚無主義)の絶望を乗り越え、自己愛に基づく無分別な消費主義を拒絶し、すべてのいのちに対し徹底した慈愛を示すことである。

大会宣言文を読み上げる黒住教の黒住宗道教主

人権の保護への取り組みに加え、我々は人徳の涵養(かんよう)を基本的な関心事に据える。「徳」とは、人間に具(そな)わった可能性を育むことを願う本来の心であり、人間の最も崇高な精神、すなわち慈悲、思いやり、愛を涵養するものである。我々にとって崇高な精神に至る努力は孤独な行為ではなく、寛容性や相互愛によってのみ達成できる「連帯」の行動である。人徳の涵養は、正当な共同体を分断する無知と個や集団のエゴイズムに対抗するものである。

また、つながりあういのちは、「公共の利益」という確固たる概念を求める。「公共の利益」とは、権利として守られるべき人間の尊厳を正当に実現しようとする我々の努力に資するものである。それぞれ理解の仕方に違いはあるものの、我々にとっての至上なる善とは聖なる存在である。公共の利益には、大気、水、土、そして生命の連鎖を支える地球が含まれ、また人間の尊厳の向上を目指す公正な社会制度も含まれている。それらは、我々が皆、相互の責任と感謝の念を意識することを呼びかけている。人はすべて公共の利益の恩恵を蒙(こうむ)る存在であると同時に、その構築に関わる存在なのである。

いのちをつなぐことは具体的な行動を伴う。いのちをつなぎあうために、我々は武力による紛争を防止し、変容し、公正かつ調和のとれた社会の建設を促進し、持続可能で包括的な人間開発を育み、地球を保護することに力を傾注する。

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