特集・ありがとう普門館(4) 『青空エール』の監修者、ライター 梅津有希子
通っていた中学校は新興住宅街にあり、生徒が増えすぎたため、わたしは翌年に新設校に移ることが決まっていた。つまり、中学校の部で普門館に行くという夢は、この時点ではかなくも消えたのだ。
三年生の時の北海道大会。以前通っていた中学校が前年の悔しさを晴らすかのように全国大会の代表に選ばれ、去年まで一緒にがんばっていた仲間達が、普門館行きの切符を手にした。わたしはどうしてもみんなの演奏を聴(き)きたくて、親に頼み込み、一人で全国大会を観に行くことを決めた。
初めて目にした普門館。それはとてつもなく大きくて威厳(いげん)があり、まさに吹奏楽の聖地だった。広々とした天井に無数のライトが灯(とも)り、客席はまるで宇宙空間のよう。そして、あの黒い床で仲間達が堂々と演奏する姿を客席から見て、感動すると同時に、自分がこの場に立てなかった、何ともいえない悔しさを感じていた。結果は見事金賞。記念撮影時にみんなから呼ばれ、ユニホームを着た部員に混ざり、一人私服姿で写真に収まった。
あの時の、おめでとうという気持ちと、一緒に舞台に立てなかった複雑な想いを抱えながら、「絶対にいつかここに来る」と決意し、高校は吹奏楽の強豪校に進学した。
わたしがコンクールメンバーとして普門館に来られたのは、二年生の時のこと。黒光りする床に立ち、五千人の客席を眺(なが)めた瞬間を今でもはっきりと覚えている。
憧れてやまなかった普門館。コンクールの時期になると、今でも毎年足を運ぶ。中には入れないので外から眺めるだけだが、建物の前に立つだけで背筋が伸びる。そして、ひたすらこの場所を目指したあの頃を思い出し、気が引き締まるのだ。
無常(むじょう)という言葉のとおり、永遠に存在し続けるものはこの世に存在しないが、解体という結果は残念でならない。長い間、全国の吹奏楽部員に夢を与えてくれて、ほんとうにありがとう。大好きな普門館、これからも、ずっとずっと忘れない。
(「佼成」10月号掲載)
プロフィル
うめつ・ゆきこ 1976年、北海道芦別市生まれ。中学で吹奏楽部に入部し、全日本吹奏楽コンクール全国大会出場の常連校である北海道札幌白石高校に進学し、2年生の時に普門館の舞台に立つ。ヤマハの管楽器販売員、FMラジオ局の製作スタッフ、編集プロダクションのライターなどを経て独立。高校の吹奏楽部を描いた漫画『青空エール』(河原和音・集英社)、同作実写映画の制作に監修者として携わる。『終電ごはん』(幻冬舎)、『高校野球を100倍楽しむ ブラバン甲子園大研究』(文藝春秋)など著書多数。
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特集・ありがとう普門館(3) 音楽ライター 富樫鉄火
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