特集・ありがとう普門館(4) 『青空エール』の監修者、ライター 梅津有希子
1970年に完成した普門館は、立正佼成会の行事だけでなく、コンサート、演劇、コンクールなどに広く使われ、“文化の殿堂”として多くの人に親しまれ愛されてきた。普門館48年の歴史を振り返る、特集「ありがとう普門館」第4弾は、吹奏楽漫画『青空エール』(河原和音・集英社)と、その実写映画の監修を務め、吹奏楽に詳しいライターの梅津有希子さんによる寄稿を紹介する。
ありがとう、普門館
「目指せ! 普門館」。かつて、多くの吹奏楽少年・少女が掲げていた目標だ。コンクールの全国大会が行われる普門館は、「吹奏楽の甲子園」とも呼ばれ、吹奏楽部員にとって、とてつもなく憧(あこが)れの場所だった。残念ながら耐震問題で使用することが出来なくなり、年内に解体工事がはじまるという。
わたしが普門館の存在を知ったのは、札幌の中学校に通っていた一年生のときのこと。吹奏楽部でクラリネットを吹いていた姉が全国大会に出場し、銀賞を受賞した。帰宅早々、「普門館、すごかったよ! 大きくて、床が黒くてね……!」と、普段おとなしい姉が興奮気味に話す姿を見て、大いに刺激を受けたのだ。「わたしもそのステージに立ちたい!」と即座に思い、一年生の途中で吹奏楽部に入部した。
担当することになった楽器はファゴット。必死に練習し、二年生のときに北海道大会に出場。オッフェンバックの「パリの喜び」を演奏し、金賞を受賞することが出来た。全国大会へは、金賞団体の中から上位二校が推薦される。
客席で祈りながら、自分達の出演順「十六番」が呼ばれるのを待つ。ドキドキが止まらず、胸の鼓動が高まる。「全国大会に進むのは……」と呼ばれたのは、六番と十八番。わずかの差で普門館行きは叶(かな)わなかった。