被爆体験を後世に ヒロシマの実相を伝える、三人の平和の祈り

スクリーンに映し出された、ありし日の岡さん

波多野さんの解説に続き、梅津さんが岡さんの被爆体験の手記を朗読し始めた。原爆によって壊滅した広島城周辺を、同級生を捜しに歩き回る岡さんが目にしたのは、同級生や学徒、兵隊の死にゆく姿だった。顔がパンパンに腫れて、目がつぶれ、服がビリビリに破け、誰だか分からない人。全身がコーラのような赤茶けた色になり、頭がガクンと後ろに落ちて、ただ座っているだけの人。ある一人の学徒に近づくと、きれいな顔はしているけれど、右の肩から手首まで裂け、皮に身が付いたまま、肉の中の骨が見えていた。

「『お水、お水ちょうだい。お水がほしいよ』と言った。でも、『ごめんね』しか言えなくて、申し訳ない気持ちでいっぱいだった」。その日の夕方には近隣から来た兵隊によって救護所がつくられ、岡さんは看護の手伝いにあたっていたことが語られる。

岡さんの手記を朗読する梅津さん

「7日の夕方、16時ごろ、あるお母さんがわが子を捜しに来られ、変わり果てた娘さんを見つけて、泣かれた。虫の息だった娘さんを抱いて、身体は焼かれてズルズルだったので、抱くことはできなかったが、腕を回して、『なんてむごいことを。かわいそうに、かわいそうに。代わってあげられるものだったら代わってあげたい』」。母親の心情を口にした途端、それまで表情を変えずに手記を読み上げていた梅津さんの目に涙があふれ、ほおを伝った。だが、涙をぬぐおうとはせず、そのまま朗読を続ける。

「お母さんの涙が生徒のほっぺにポタポタ落ちた時、その娘さんはうっすらと目を開けて、『お母さん、泣かないで。私はお国のお役に立って、死んでいくのだから』。そう言って、その生徒は亡くなった」。建物の下敷きになって助けを求める人、水がほしいと懇願する人、岡さんの目に映ったのは地獄のような惨状――梅津さんは自らが体験したかのように伝えきった。

被爆体験の伝承を続けて1年以上が経過したが、このシーンは何度読んでも涙が出ると梅津さんは言う。「私も母親なので、お母さんの気持ちを考えると涙が出ます。変わり果てた娘を前にしたお母さんはきっと、流れる涙をぬぐわずに、ただただ悲しみに打ちひしがれていたと思います。だから、私も、どんなに涙が流れても、鼻水が垂れても、朗読中はハンカチを手にしません」と、悲痛な面持ちで語った。

被爆者本人の証言映像が残されていても、波多野さんと梅津さんは伝承を続けることに意味があると考えている。被爆者の体験を後世にしっかり受け継ぐとともに、聴衆の表情を見ながら、じかに語り掛けることで、被爆者が伝えたかった平和への願いが熱を持って伝わると信じるからだ。

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