特集・ありがとう普門館(3) 音楽ライター 富樫鉄火

普門館で行われたカラヤン指揮によるベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の公演(1977年)

「田園」を聴く「運命」に

それから12日後の11月16日(水)、また普門館に行った。ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団による、ベートーヴェン交響曲の全曲演奏会シリーズである。クラシック好きの伯父に連れられて行った。

この年の彼らの来日公演は凄(すさ)まじいスケジュールで、まず、11月6~10日の5夜連続で、大阪・フェスティバルホールでブラームス。その後、移動などで2日空けて、13~18日の6夜連続で、普門館でベートーヴェンの交響曲全曲(時折、名ピアニスト、アレクシス・ワイセンベルクとの共演によるピアノ協奏曲も加わった)。この年、カラヤンは満69歳。すごい老人だと思った。

わたしが行った16日は、第6番≪田園≫+第5番≪運命≫だった。席は、1階後方の上手側。今回は「寒かった」記憶は、ない。「はるか彼方で、なにかやっている」といった感じだった(コンクールのときは1階前方席だった)。

渾身の演奏を終え、聴衆の拍手に応えるカラヤン(1984年)

このとき、響きの悪さにカラヤンが失望して、次の来日(1979年)では、反響板を設置させたとの話がある。確かに響きはデッド(残響が少ないこと)だったが、この広さなら、こんなもんじゃないかと、わたしは思っていた。カラヤン自身は、日ごろ、残響たっぷりのベルリン・フィルハーモニーのホールで演奏しているのだろうが、当時の日本には、サントリーホールも東京芸術劇場も東京オペラシティもまだなかったのだ。だから、残響シャワーを浴びながら音楽を聴いたことのある聴衆は、まだ少なかったはずなのだ。わたしだって、コンサートといえば、東京文化会館か中野公会堂くらいしか知らなかった。だから、こんなものだろうと思って聴いていた。

ところが、この公演を録音していたFM東京の当時のプロデューサーで、現在は音楽評論家の東条碩夫氏によれば――当時、主催者側は大がかりな残響調整装置を準備していた。そして本番前日、早稲田大学交響楽団に舞台上で演奏させ、カラヤンは客席内を移動しながら響きを確認した。その結果、このままで十分と判断、装置も使用しなかったというのである。そもそも、普門館は音楽専用ではない、多目的ホールである。音響についてあまり神経質に語っても仕方ないように思う。

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