第34回庭野平和賞贈呈式 ムニブ・A・ユナン師 受賞記念講演

ラマッラー福音ルーテル希望教会で式典を執り行うユナン師©BenGray/ELCJHL

エルサレムは、私に宗教間の対話の重要性が深遠であることを教えてくれました。エルサレムでは、他の宗教を日常的に目にするのみならず、それぞれの宗教コミュニティーの中にいる多くの人々に出会います。多様な信仰の一つ一つには、それぞれにさまざまな生き方があります。私が、エルサレムのそれぞれ異なる宗教の中で出会う人のことをよく考えてみると、この多様性それ自体が過激主義に対する解毒剤であると思えてくるのです。エルサレムの隣人を通して、私は対話の重要性を学んだのみならず、対話は信頼と友情に基づかなければ決してうまくいかないとの真理を学びました。

それぞれの伝統の中にある多様な人々を目の前にした時、もしあなたが謙虚でなければ、あなたの道は排他性と過激主義に通じるでしょう。まず最も大事なことは、宗教的過激主義者は、自分たちのコミュニティーの中に多様性を受け入れることができないということです。結果として、彼らは自分たちの伝統の外にあるものに対しても多様性を受け入れることができません。他の者はて背信者であり、不信心者なのです。このことから私は、過激主義に対して取り組むには、まずはじめに自分の伝統の中から始まるのだということを学びました。これは現代の宗教指導者に求められる、最も重要で核心となる責任です。私たちは、宗教指導者自身のコミュニティーの中で過激主義を容認して共謀関係にあるような宗教指導者をしばしば目にします。もし私たちが過激主義を自分たちのコミュニティーにおいて認めてしまったら、どのようにして他者の中の過激主義と対峙すればよいのでしょう。だからこそ私は、宗教を邪道に導く病んだイデオロギーに加担しないでほしい、断固として対峙してほしいと宗教指導者に願うのです。

今日における諸宗教の協働において焦点を当てなくてはならないのは、それぞれ特定の伝統の中における過激主義と対峙することです。宗教指導者は一致協力して共に切磋琢磨(せっさたくま)し、智慧(ちえ)を分かち合わなくてはなりません。もちろん、世俗の社会における行政の指導者にも過激主義に対抗する役割がありますが、最も効果的なのは、それぞれのコミュニティーの中から生まれてくる取り組みではないでしょうか。もし、過激主義が愛のアンチテーゼであるならば、私たちこそ愛によって動機付けられなくてはなりません。これは極めて重要なことです。