第34回庭野平和賞贈呈式 ムニブ・A・ユナン師 受賞記念講演

講演に立つユナン師

アブラハムの宗教の伝統において、私たちは、予言的に語り、権力を持つ者の標準的な考えや行動に挑戦することを重視します。どのような宗教においても、信仰心あふれる実践には予言的な責任があると、私は強く信じています。予言は、単に他に対して向けられるだけのものではないのですが、私たちはこのことをよく忘れがちです。真の予言的な批判や表明は、まずはじめに自分の宗教、自分のコミュニティーに向けられるものです。私たちの宗教コニュニティーの中にある堕落した要素に対して、私たちが自己批判的に断固取り組むならば、私たちの宗教は、私たちと他の人々にとって、いのちの源となるでしょう。宗教が愛を押し広めようとするとき、真に予言的になるのです。

この予言的な愛のメッセージ、それは過激主義のアンチテーゼですが、そのメッセージは、私の住む都エルサレムで、そして世界中で、今まで以上に必要とされているものです。宗教指導者だけでは、イスラエル・パレスチナ紛争に公正で平和的な解決策を与えることはできませんが、宗教指導者なしでも平和は訪れません。私は、地元の、地域の、そして世界の宗教指導者を招いて、どのような人種、性別、政治的立場にあろうとも他者の中の他者性を受け入れる大切さを教える教育を広めようとしています。この教育が、学校で、家庭で、そして報道に携わるメディアでも、どうしても必要です。

さらに、平等の権利と多様性を受け入れる公平な責任があると認められた市民権を、平等に有するという概念が広まることによって、中東地域、そしてもちろん世界全体が恩恵を受けることができます。今日、ある人々が平等を享受し、別の人々がより少ない平等を享受しているということが、往々にして受け入れられています。神が私たち一人ひとりを平等に創造され、そして、私の信仰によれば、キリストが私たち一人ひとりを公平に救ってくださるのだから、私たちは平等の市民権を持っているというのが私の信念です。神がこの世界において意図されたように、全ての人が尊厳と平和の内に生きられるべきなのです。