栄福の時代を目指して(9) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)
寡頭政とその人間像
「寡頭政?」
この言葉にも見覚えがあった。もともと高校時代に社会科で「寡頭政(寡頭制)」は、民主政とは反対に、ごく少数の人物や支配層が国の政治を独占する体制と習った。同時に、富裕層が大きな影響力を持つ場合もあるということだった。即礼君は、大学時代にプラトンの『国家』を初めて読んだ時に、ギリシャ時代からこのような政体が論じられていたと知ったのだった。
そこで、枕元に置いてあったこの本を再び手に取って、該当箇所を読んでみた。第8巻では、国政論が議論され、対話相手のグラウコンの求めに応じ、ソクラテスが、間違った国制として挙げた4の国制と、それに対応する人間について語っていた。その国制とは、クレタやスパルタ風の「名誉(支配)政」、「寡頭政」、「民衆政」、そして「僭主(せんしゅ=独裁)政」であり、それぞれに対応する人間像を挙げて、ソクラテスがこの順に変動する理由を説明していたのである。
この中で、ソクラテスは、財産の評価に基づいて「金持ちが支配し、貧乏人は支配にあずかることができない」国制を「寡頭政」と呼び、金持ちたちやその妻たちが「法に従わず」、「自分自身のために金の使い道を見つけ出して、それに都合のよいように法を曲げる」としている。さらに「金儲(もう)けをもとめ金銭を愛する人間」は、「殖財の道をひたすら前進して、金をつくることを尊重すればするほど、それだけますます徳を尊重しないように」なり、国に「乞食」と盗人や掏摸(スリ)や神殿荒らしなどの「悪業の専門職人たち」を生み出すために、「悪をはらんだ国制」である(8巻358b~362d)。
夢の会話でトラギアスは「自分の周りに巨富を成した者」が沢山いると言っていたが、確かにイーロン・マスク氏をはじめ富豪たちがトランプ支持者に多く、第2次政権発足直前にトランプやメラニア夫人は自分の名前のついた暗号通貨を発行したり、インサイダー取引が疑われたりして、「腐敗」と批判されている。これは、まさしく「金持ち」やその「妻」が「殖財の道」を進んで「都合のよいように法を曲げる」という疑いに相当するのではなかろうか。こう考えて見ると、サンダーズ議員たちが「寡頭政」という非難を政権に浴びせているのも、もっともだと思えた。
この対話編でソクラテスは続けて、この政体の欠点を挙げている。第一に、財産を基準にして為政者を選ぶのだから、貧しくても操舵(そうだ)術の優れた人に操舵を任せなくなるようなもので、航海は惨憺(さんたん)たるものになるだろう。第二に、貧乏な人々の国と金持ちの国の二つに分かれてしまい、お互いに策謀し合って、協力できないから戦争も遂行できなくなる。そして、貧乏な人々からは、乞食となる人と、罪を犯すような悪人が出てくるのである。
この第一の欠点は、まさしく、夢で自分が「金儲け術と経済運営術は違うのではないか」とトラギアスに問いかけた論点そのものである。そして第二の難点こそ、国が二分されて争いが生じるという上記の議論であり、カリフォルニア州での対立や抗議集会として現実化している。
こう見ると、現実のアメリカ政治には、ソクラテスがここで述べていたような事態が確かに生じているようにも思えた。おそらくソクラテスは、当時のギリシャにおけるさまざまな思想だけではなく、多様な都市国家(ポリス)における現実政治を念頭に置いてこう語ったのだろう。より正確に言えば、プラトンがこの作品においてソクラテスに語らせたのだから、ここには作者プラトンの見聞した現実政治も投影されており、その意味ではソクラテス=プラトンの見聞きした現実政治である。その古代ギリシャ政治と今日のアメリカ政治が似ているということは、
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現実の歴史や政治にも、フラクタル構造があるのではないだろうか。
そして、このソクラテスの論理からすると、このような欠点のために寡頭政という「悪しき政体」はやがて崩壊し、別の政体へと移行していくことになる。――「民主主義が回復するといいなあ」と思いつつ本を閉じて、出かける時間が来たので即礼君は仕事に向かって家を出た。
彼にとって、アメリカで進行中の事態は、直接自分の生活には関係しないものとして、対岸の火事のように思えていたのかもしれない。この時、彼はまだ、この日から相次いで世界史的事件が勃発して、この古典的名著の続くページを繰ることになるとは思っていなかったのである。
プロフィル

こばやし・まさや 1963年、東京生まれ。東京大学法学部卒。千葉大学大学院社会科学研究院長、千葉大学公共研究センター長で、慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科特別招聘(しょうへい)教授兼任。専門は公共哲学、政治哲学、比較政治。2010年に放送されたNHK「ハーバード白熱教室」の解説を務め、日本での「対話型講義」の第一人者として知られる。日本ポジティブサイコロジー医学会理事でもあり、ポジティブ心理学に関しては、公共哲学と心理学との学際的な研究が国際的な反響を呼んでいる。著書に『サンデルの政治哲学』(平凡社新書)、『アリストテレスの人生相談』(講談社)、『神社と政治』(角川新書)、『武器となる思想』(光文社新書)、『ポジティブ心理学――科学的メンタル・ウェルネス入門』(講談社)』など。