「朔日参り(布薩の日)」式典で庭野会長が法話 すでに救われていると気づく大切さ説く

読経供養では、導師をつとめた光祥次代会長の音声とともに拠点を移した杉並、中野両教会のサンガの読経の声が大聖堂に響いた

12月1日、立正佼成会の「朔日(ついたち)参り(布薩=ふさつ=の日)」式典が大聖堂(東京・杉並区)で行われた。この日から拠点を大聖堂に移した杉並、中野両教会の会員が新型コロナウイルスの感染防止策を施して参加したほか、インターネットの動画共有サイトで、式典の模様がライブ配信(会員限定)された。

式典では庭野光祥次代会長を導師に読経供養が行われ、渋谷教会会員(53)=支部壮年部庶務=が体験説法に立った。

同会員は、少年時代の家庭の様子に触れ、自分の思い通りにならないと家族や周囲に当たり散らし、離婚寸前にまで至った父親の姿を述懐した。成長するにつれて父親を避けるようになったが、父親の死を機に親子関係を振り返り、身勝手な振る舞いは自分を認めてもらいたいという気持ちの表れだと思えた体験を語った。

さらに、今回の体験説法の役を通じ、自身も父親と同様に、自分の思いが通らないと相手を責めてしまう自己中心な心があることに気づいたと発表。気持ちを切り替えて「斉家(せいか)」を目指し、「三つの実践」に励んでいると述べた。

また、コロナ禍の現在は、教会独自の通信紙の編集長を務め、紙面を通してサンガ(教えの仲間)の近況や功徳を伝え、喜びの輪が広がっていると紹介。目の前の現象を仏のメッセージと受けとめ、触れ合う縁を「師」と拝み切ることを目標に、さらなる精進を誓った。

この後、庭野日鑛会長が登壇し、法話に立った。この中で庭野会長は、『心に種をまく』(佼成出版社刊)を読み上げながら、「まつり」の意味に言及。まつりとは「間を結ぶこと、間をつり寄せること」と語り、仏道修行を通して、釈尊の教えと自分自身の心をほどよく近づけていく中で、救いと悟りを得られると述べた。

また、悟りとは気づくことと説明。人間は生まれた時からすでに救われていることがその最も大事な気づきであると述べ、「悟りがあり、悟りが深まるところに救いが感じられる」と語った。さらに、「救いも悟りも、人間の本能の中にある」との言葉を引用し、本能は人間が生きるために不可欠なものと提示。本能の一つである呼吸の中でも「うなる」行為を紹介し、「からだの苦しみも、心の苦しみも、うなることによって救われる」と書籍の内容を伝えた上で、「皆さんと共に、今年以上に来年はまた、元気で修行させて頂きたい」と語った。