ウクライナ侵攻に宗教的動機を与えるキリル総主教(海外通信・バチカン支局)

ロシアのプーチン大統領は3月3日、国家安全保障会議の席上、「ロシア人とウクライナ人が一つの民族(国民)である」との考えを改めて主張した。ロシア正教会の最高指導者であるキリル総主教も9日、モスクワ総主教座大聖堂での説教の中で、「キエフの洗礼(ロシアへのキリスト教導入)から共に生まれ、同じ信仰、聖人、希望、祈りを分かち合うロシア人とウクライナ人は、一つの民族である」との確信を表明。ウクライナを手中に収めようとするプーチン大統領のドクトリン(説話)に宗教的基盤を与えている。プーチン大統領の「一つの民族(国民)」とは、ロシア帝政時代の国家観によるものといわれる。

先の説教で、キリル総主教は、「一つの国民」として強くなることを恐れる近隣諸国が、「一部の国民(ウクライナ人)に対し、『あなたたちは(ロシアと)一つの国民ではない』とささやき、分裂させようと試みている」と発言。「私たちは、ロシア人とウクライナ人が軍事的対立を克服し、共通の霊的ルーツと強さの存在(ロシア正教)を実現していけるよう祈らなければならない」と信徒に呼びかけた。

さらに、この宗教的確信を地政学の観点から説明。欧米諸国は大国となったロシアの弱体化をもくろんでいるとし、「地政学的優位性という目的を達成するために、兄弟国民(ウクライナ)を利用するのは、何と嫌悪されるべき卑怯(ひきょう)な行為であることか。これらの人々(ウクライナ人)を彼らの兄弟(ロシア人)と対立させるのは、何と恐ろしいことか。同じ血と信仰を持つ兄弟を戦わせるために、(米国や欧州連合が)一方に武器を提供することは、何と恐ろしいことか」とも述べた。

ロシアとウクライナが一つの国であった期間もあるが、それは歴史の一部にすぎない。しかし、キリル総主教は、「歴史の中で同じ精神的起源を分かち合うロシアとウクライナ」と認識しており、欧米諸国が加盟する北大西洋条約機構(NATO)や西側諸国はウクライナをロシアから切り離すための試みを進めており、もともと一つの国民であるべき両国にとっての脅威であるとの見方に立っている。それゆえに、ロシアが「ナチス」と呼ぶウクライナのゼレンスキー政権による分断政策から「一つの国」を守るため、ロシア軍はウクライナへ侵攻したというドクトリンに宗教的動機を与えているといわれる。だが、プーチン大統領とキリル総主教が共に説くドクトリンは、現代世界の中で、欧米で重視される自由、民主主義、国家の主権、領土の一体性、国際法といった価値観と衝突することになった。

先の説教に先立つ6日、キリル総主教はロシア正教会が祝う「神による赦(ゆる)しの日」のスピーチで、ウクライナをロシアから切り離そうとする欧米諸国の試みがもたらすものについて述べた。総主教は、ウクライナ東部ドンバス地域で続くロシア系住民による独立を求める運動は、欧米文化の価値観やその「誘惑」に対する拒絶であると強調。その誘惑とは、「幸せ」な世界への移行と称しているものの、つまりは「過度な消費主義や見せかけの“自由”の世界」へのいざないであり、それが導く先は、否定的な意味を込めて「プライド・パレード(性的少数者らが訴える性の多様性)を容認する世界」であると述べた。

さらに、ドンバス地域のロシア人たちは、欧米諸国の退廃した価値観と8年にわたり闘い、苦しんできたにもかかわらず、「世界は沈黙を守ってきた」と訴えた。ここに、プーチン大統領とキリル総主教が、ロシア軍によるウクライナでの「特別軍事作戦」を正当化する理由がある。総主教の発言は、東側のロシアと、西側の欧米諸国との「文明の衝突論」とも取れるものだ。