佼成看護専門学校で最後の卒業式 看護師志す学生2030人の育成に尽力

佼成看護専門学校の最後の学生となった51期生20人。一人ひとりに卒業証書が手渡された

佼成看護専門学校(東京・杉並区)が今年3月で閉校となり、54年の歴史に幕を下ろす。3月1日午前に最後の卒業式がセレニティホールで挙行され、51期生の20人が卒業。午後には、教職員による閉校式が行われ、立正佼成会の庭野日鑛会長と國富敬二理事長がビデオメッセージを寄せた。同校は1968年12月に創立された。仏教精神を基に人間を深く愛し、看護を必要とする人々に慈悲の手を差し伸べる人柄と、智慧(ちえ)の眼を持った看護の実践者を育成することが教育理念。「ゆたかに清く」を校訓とし、これまでの卒業生は2030人に上る。現在も多くの卒業生が看護師として活躍している。

閉校式では、庭野会長からビデオメッセージが寄せられた

佼成看護専門学校設立の検討は、1965年に始まった。当時、日本では看護師の養成を大病院が行っており、佼成病院でも看護師育成の必要性の高まりを受けて、院長の小野田敏郎氏を中心に同病院幹部による看護教育機関設立についての協議が進められた。68年12月、「佼成高等看護学院」を創立。翌年4月に佼成病院(当時は東京・中野区)の敷地内にあった旧病棟を仮校舎として教育をスタートすることになった。初代学院長には小野田氏が就任した。

第1回の入学式には庭野日敬開祖が臨席し、挨拶に立った。庭野開祖は「お釈迦さまは病者の看取(みと)りが、すなわち供養であるとおおせられている」と看護の重要性に触れ、「根本である精神面の教育を重視し、み仏の心にかなうよう、多くの人を救うために積極的に勉強をしてほしい」と新入生を激励した。

71年、現在の校舎が完成。80年には、学校名を「佼成看護専門学校」に改めた。

同校は、これまでに2030人の学生を輩出。海外から看護師を志す留学生も受け入れ、ネパール、カンボジア、ベトナム、モンゴルの学生の育成に尽力した。

1971年に建てられた学舎(まなびや)。2000人を超える学生が看護の勉強にいそしんだ

一方、近年、医療の発達により看護の現場では多種多様な知識が求められ、専門学校より多くの知識を学び、取れる資格も多い4年制大学を受験する学生が増加。同時に少子化も加わって専門学校の受験生が減少した。また、校舎の老朽化、女子校としてのニーズの低下などの要因も重なり、教団で同校の存続について協議された。その結果、一定の社会的役割を果たし終えたとして、2018年6月の教団理事会、同評議員会を経て、22年3月での同校の閉校、19年春を最後の募集とすることを決定した。

今年3月1日に卒業式を迎えた51期生20人は19年春に入学した学生だ。卒業式の席上、神保好夫校長は卒業生に向けて、医療現場で働く指針を提示。看護師として歩み出した当初は失敗もあり、困難なことも多く押し寄せてくるが、反省、自身への評価、勉強を大切にすることで困難に打ち勝てるとエールを送った。また、患者と互いに尊敬し合い、共に努力できる関係を築くことが重要になると、医療者の心がけを示した。

次いで、卒業生一人ひとりに卒業証書が手渡された。この後、卒業生代表(21)が答辞を発表。コロナ禍の中での実習となり、患者との触れ合いが制限されたが、その分、より丁寧に患者に寄り添うことに努めて、思いやりの心を養えたことは大きな学びになったと学生生活を振り返った。

午後に行われた閉校式では、神保校長の挨拶に続き、庭野日鑛会長と國富敬二理事長のビデオメッセージが上映された。この中で庭野会長は、一本の木を植えると、その木が大地に根づいたならば、植えた人がいなくなろうとも成長が止まらないように、自立した人間を育てることが真の教育であり、教育を「人を植える道」と述べた教育者・森信三氏の言葉を紹介。そのような人材育成の道を半世紀にわたって歩んできた教職員の努力をたたえた。

卒業生に向けては、「本校で学んだ慈しみの心を何よりも大事にして、これからの人生を歩んでいって頂きたい」と激励した。