「釈迦牟尼仏ご命日(布薩の日)」式典で庭野会長が法話 常に心を見つめて共に修行精進を

庭野会長は「私たちは、いつも心が安らかで穏やかな状態を望んで精進をさせて頂いている」とも述べ、日々の修行の心構えを説いた

9月15日、立正佼成会の「釈迦牟尼仏ご命日(布薩=ふさつ=の日)」式典が東京・杉並区の大聖堂で行われ、庭野日鑛会長が法話を述べた。庭野会長はこの中で、人間が生きたまま仏になることが重要と強調。多忙になりがちな現代の生活の中で、自分を見失うことなく、いつも自分の心を見つめて修行精進する大切さを説いた。

式典では、庭野光祥次代会長導師による読経供養に続き、柿澤伸光・本部総務部次長(渉外グループ)が体験説法を行った。

この後、法話に立った庭野会長は、大自然や神仏は、世の中にある一物といえども粗末には造っていないといわれていることを紹介。人間も、どんな力、どんな徳を持っているか計り知れないとし、「諦めないで精進することが何よりも大事」と述べた。

また、仏教の開祖である釈尊の徳に言及し、生命(いのち)あるものの中で人間こそ最も情け深いものであり、その人間の中でも、真の人物ほど深い情けを持ち、胸中深く涙をたたえていると説示。釈尊は、生老病死に苦しむ人間の姿に涙して、救いの道を求めて修行し、悟りを開き、そして仏の教えが生まれたと解説した上で、「そうしたお釈迦さまの教え――仏教に今、私たちが結ばれているのは本当に有り難いこと」と述べた。

さらに、森政弘・東京工業大学名誉教授の著書の内容を引用する形で、「人間でありながら、人間でなくなる」とは、生きている人間が悟って仏になった状態であると明示。死んでから仏になるのではなく、生きたまま仏になることが大事であると強調した。「人間は忙しいと、自分をなくし、どうしてもそこに手抜かりが起こります。省いてよいものは省き、何事も『明白簡易(めいはくかんい)』にして、いつも心を見つめながら仏道修行をさせて頂くことが大切」と述べた。

なお、式典の映像がインターネットでライブ配信された。