第36回庭野平和賞贈呈式 ジョン・ポール・レデラック博士記念講演全文

私は今、大学の学生たちに俳句を教えています。私は学生たちと教室を出て、大学のキャンパスを散策します。そして、「自然との直(じか)に触れ合う体験」「人間の感性と精神」、そして「俳句という創造的な行為との間に介在する複雑な関係」について探求します。その三つの要素は全て、平和構築に携わる者に、平和を織りなす長い旅路に命を吹き込むものです。

俳句は、私に五感の全てを使った気づきを与えました。あらゆる瞬間において気づきの実践ができるようになりました。

俳句によって、私は美しさに感動し、偉大なものに対して開かれた心でいる実践ができるようになりました。

俳句は、その瞬間にある複雑さを最もシンプルな形で捉えることを私に求めました。謙虚に、物事の本質をより深く求め続けることができるようになりました。

俳句は彷徨(さまよい)と感動に私をいざない、子供のように純粋な好奇心を私に与えてくれました。

俳句は、私に遊び心を持たせてくれました。そして、創造的で、とらわれのない思考を可能にしてくれました。

また俳句は、私の内なる詩人に、まだ名前もついていない経験の記憶を呼び起こさせました。言い表しようのないものから、あえて声を発する訓練ができるようになりました。

芭蕉は晩年に、「私は生涯に五つか六つしか句を詠んでいない」と言ったことが伝えられています。数千もの俳句をのこした芭蕉ですので、それはまさに意外な言葉です。『奥の細道』の俳文には、「奥」が自身の内奥へ向かうものであったことを示す、現実に根ざしながらも深い精神性に富んだ二つの解釈が記されています。

まず、「奥」は芭蕉が旅をしたこの素晴らしい国の奥地への道を象徴しています。芭蕉が試みたのは、旅で訪れた地に暮らす人々やその土地の歴史の中に息づく精神、その土地が持つ智慧に深い関心を寄せ、表すことでした。

次に、芭蕉にとって「奥」とは、内なる広大な精神世界に向かって、揺るぎなく勇敢な旅を続けること、この世界に居場所を探し求めること、そして、帰属することへの憧れを暗示しています。

『奥の細道』の冒頭に、芭蕉は「旅を住処(すみか)とす」と記しています。旅とは「住処」の探求であり、住処とは、「奥」が意味する内面への旅が確固とした全体性の中に統合された場所のことです。そこは、共有の場所であると同時に、帰属が許される場所でもあるのです。

これが、私が芭蕉から頂いた癒やしの泉です。私たちの長い旅路は、人類共通の住処を築くための旅ですが、日々の生活では、「間」があり、喜びや静かな時間もあるのです。