光祥次代会長のスピーチ(全文) 「第5回ムスリム社会における平和推進フォーラム」から
立正佼成会では、1973年から「青年の船」を就航。この年、約450人の青年がフィリピンなどの第二次世界大戦の戦跡を巡りました。当初の目的は、日本人兵士の慰霊と、同じアジアに生きる人々と理解と友好を深め、世界平和への意識を高めるという、青年の純粋な願いによって計画されたものでした。
広島、長崎への原爆投下という事実により、私たち日本人は自らを「被害者」だと考えがちです。しかし、平和の使者として訪れたつもりのフィリピンで青年たちを待っていたのは、「バターン死の行進」といわれる日本人の加害者としての歴史でした。戦後30年近くが経っており、訪れた青年たちは戦後生まれだったにもかかわらず、バターン市民は戦時中に残虐行為を繰り返した日本兵に根強い嫌悪感を抱いており、青年たちを罵(ののし)り、唾をかけたそうです。
これにショックを受けた青年たちは、「日本人戦没者の慰霊だけでは本当の慰霊にはならない。フィリピン人の戦争犠牲者やアメリカ人捕虜として亡くなった人たちも共に慰霊し、世界の平和を祈ることこそ仏教徒の姿である」と考え、帰国後、自分たちの手で基金を集め、翌1974年にはバターンで平和記念碑の建設が始まりました。
その年の日米比戦没者合同慰霊祭で、立正佼成会の青年は「日本人が犯した罪を許してください」と懺悔し、現地フィリピンのカトリック神父は「罪を憎んで人を憎まずという心で、これからは手を携えていきたい」と応え、その後長い時間をかけて私たちは友情を育みました。その平和記念碑を私たちは「フレンドシップタワー」と呼び、現在も毎年、両国の青年が共に慰霊と平和祈願、親善の交流を行っています。
今も「バターンデー」の祭日では、日本兵の残虐行為を伝える寸劇が毎年行われます。私もフレンドシップタワーを訪れた時、この劇を観ました。これを観るのは、日本人としてとてもつらく、傷つき、目を覆いたくなります。けれど私は、私の4人の子供にも、そして多くの青年に、あの劇を観て傷ついてほしいと心から願っています。
なぜなら、暴力を行う人間の弱さを知り、自分にもその種があることを心に刻むことで、本当の平和の使者になってほしいからです。「私はやっていない」「あれは本当の日本人ではない」「彼らは悪だが、私は違う」と、自分と切り離して考えるのは簡単です。けれど、その「自分とは関係ない」と思う心が、世界から戦争や紛争をなくせない要因なのです。
この世に「絶対」というものは存在しません。ただ一つ、宇宙を貫く根源の命――仏教では久遠の本仏と言いますが――、アブラハムの宗教における全能の神だけが絶対であって、この世に現れるすべての物事には、絶対なものは一つもありません。すべてが相対的であり、関係の中で変化・流動するものです。
だからこそ私たちは、互いに理解し合い、我慢し合い、譲り合うことによって、多くの人が平和と幸せを享受できるような調和を求めていかなければなりません。そしてそのためには、フレンドシップタワーを建設した青年たちのように、自分と異なるものに心を開き、自らの非を認める勇気を持ち、独善性を超えて、自らを変化させる出会いを恐れないこと。これこそが自らの信じる神の徳を証明し帰依すること、徳の同盟ではないかと思います。