第1回庭野平和賞受賞者・カマラ大司教 ブラジル連邦議会が「人権の保護者」に認定

1983年(昭和58年)4月7日に行われた第1回庭野平和賞贈呈式。庭野日敬総裁(左)と握手を交わすカマラ大司教

ブラジル連邦議会下院の文化委員会は昨年12月27日、第1回庭野平和賞(1983年、庭野平和財団主催)受賞者の故ヘルダー・ペソア・カマラ大司教(同国オリンダ・レシフェ教区)を、「ブラジルの人権の保護者」として認定すると発表した。

「貧者の司教」と呼ばれたカマラ大司教は、軍事政権による野党勢力への組織的な暴力を告発し、大地主による労働者への搾取、抑圧を強く非難した。一方、大司教館に困窮した人々を住まわせ、自身は質素な暮らしを貫いた。まさに貧者の側に立つ聖職者として知られ、「貧者に食べるものを与える聖人」と呼ばれた。しかし、16年間にわたり、教会施設以外での発言を禁じられるなど、軍政から激しい弾圧を受けた。信頼を寄せた多くの協力者も軍政下で殺害された。

貧者の内にキリストの存在を見たカマラ大司教。同師の神学は、カトリック教会内部において、ローマ教皇フランシスコ選出への道筋を整えてていったといわれる。2015年には、教皇の合意を得て、カマラ大司教の教区で列福調査が開始された。
(宮平宏・本紙バチカン支局長)

佼成新聞(紙面版)から

大聖堂の降誕会でスピーチを行うカマラ大司教(昭和58年4月8日)

「抑圧と貧困からの解放に尽力」。昭和58年4月15日付本紙に掲載された、第1回庭野平和賞贈呈式の記事の見出しだ。受賞者はブラジルのヘルダー・ペソア・カマラ大司教。このほど、庭野平和財団の庭野浩士理事長が、そのゆかりの地を訪ねた。

カマラ師は1999年に90歳で逝去。人生の大半を貧しい人々の救済に捧げた。社会の不正を訴え、命を狙われもしたが、弱き人々の側に立ち続けた。

庭野理事長は、師が眠るオリンダの大聖堂を訪問後、ある小さな教会に向かった。そこは、カマラ師が大司教専用の住宅ではなく、6畳ほどの一室に、机とベッド、本棚を置いて亡くなるまで生涯を過ごした場所だ。貧困を撲滅するには、教会で説教するだけでなく、貧しい人々と共に歩むことが大事だと思い、自らも清貧に努めたのだった。

「常に同じ目線でものを考え、共にあろうとされた姿に感動しました。それでいて、ユーモアに富んだ人柄だったと伺い、宗教者のあり方を教えられました」。庭野理事長はそう語る。

先の本紙には、東京各所でスピーチされた内容も記されている。「一人で夢を見るのは、単なる夢でしかない。しかし、みんなで一緒に見る夢は必ず実現する。だから、みんなで夢を見て、正義を実現するために力を合わせよう」。勇気が湧く言葉だ。
(平成29年11月12日付「春秋雑記」)

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関連ウェブサイト

「庭野平和賞」(公益財団法人・庭野平和財団)http://www.npf.or.jp/peace_prize/