TKWO――音楽とともにある人生♪ パーカッション・和田光世さん Vol.1

厳しい練習の毎日から逃れたくて

――和田さんと楽器との出合いはいつですか

母が若い頃に習っていたマリンバが自宅にあり、近所に指導してくれる先生もいたので、母に促され、幼稚園に入ってすぐにマリンバの個人レッスンに通わされたのが始まりです。母は厳しく、私は帰宅したら必ず、楽器を練習しなければなりませんでした。練習時間は幼稚園の頃で最低でも30分。小学校、中学校に進むと、もっと長くなりました。それがもう、嫌で嫌で(笑)。でも、そのことを面と向かって母に伝える勇気はなくて、どうにかして逃れようと考えた私は、小学校では水泳クラブ、中学校ではテニス部に入りました。体を動かすのが好きというのもありましたが、運動部に入れば帰宅時間が少し遅くなるので、マリンバの練習時間を減らせると思ったのです。しかし、そうしたささやかな抵抗もむなしく、練習の日々は変わらず続きました。

――そのまま、マリンバ一筋で?

いいえ。高校に入ってしばらくした頃、母から「これから先は、あなたの人生だから、自分が進む道をしっかり考えなさい。マリンバを続けるかどうかも好きにしていいよ」と言われました。音楽家になろうとはみじんも思っていなかったので、これ幸いと、マリンバをやめました。

しかし、いざマリンバから離れてみると、長年触れていた楽器がフッと消えてしまい、まるで自分の居場所がなくなったかのような感じがしました。それに、つらかったことよりも、発表会のステージにワクワクしながら立った記憶が鮮明に思い出されて、再び演奏したくなってくるんです。それまでは何とかして練習時間を減らそうとしていたのに、不思議ですよね。楽器から離れて初めて、もっとマリンバを演奏したいという思いが心に芽生えました。高校1年生の終わり頃には、音楽の道に進もうと決意し、音大(音楽大学)に行きたいと母に伝えました。それを聞いた母は、楽器を再開することはもちろんですが、それ以上に、私が自らの意思で進む道を選んだことをとても喜んでくれました。

――お母さんの厳しい指導が、後々の進路に大きな影響を与えたのですね

そうですね。思い返せば、物心がつく頃にはもう、鍵盤を見ずに演奏するという基礎的な技術が身についていました。基礎の習得には根気が要ると思いますが、幼い頃に楽器を始めたので、苦しかったという記憶がないんです。曲を練習するうちに自然に身についたからでしょう。これはとても有り難いことでした。

母は、私が途中でレッスンを投げ出そうとしても、“続かない子”になってほしくなくて、中学を卒業するまでは、親の権限を使ってでもレッスンを続けさせるつもりだったそうです。演奏家になってから、母にこの話を聞きましたが、今となっては、厳しくしてくれた母には感謝しています。

プロフィル

わだ・みつよ 福岡・北九州市に生まれる。東京藝術大学音楽学部器楽科打楽器専攻を卒業後、同大学院を修了。第7回日本管打楽器コンクール、現代音楽演奏コンクール「競楽V」でそれぞれ第3位に入賞する。在学中からフリーランスの打楽器奏者として活動を始め、2018年8月にTKWOに入団。室内楽、オーケストラ、パーカッショングループなどで幅広く活動し、「東京シンフォニエッタ」「打楽器四重奏団“Shun-Ka-Shu-Toh”」「Percussion Unit“UNZRI”」のメンバーも務める。