TKWO――音楽とともにある人生♪ テューバ・近藤陽一さん Vol.1
テューバとのつながりはどこまでも
――その後もずっとテューバ一筋ですか?
そうですね。でも、中学校に進学して吹奏楽部に入った時は、他の楽器を演奏してみたかったのです。それが入学して早々、同じ中学校の3年生で吹奏楽部に所属する姉が顧問の先生に、「テューバを吹ける弟がいる」と話してしまったことで期待されてしまい、他の楽器に触る機会を逸してしまいました(笑)。でも、それよりもつらかったのは、中学3年間の部活動で私以外に男子がいなかったこと。同じ部員の女子たちとどう接していいかも分からなくて……。
1年生の時は“お目付け役”の姉がいたので、嫌々ながらも部活動に参加していましたが、2年生以降は、毎朝の授業前の練習には参加するものの、放課後の練習で合奏する日以外は練習場の隅っこで一人黙々と練習したり、練習自体をサボって同級生と遊びに出掛けたりしていました。それでも、吹奏楽は大好きだったので部活をやめるつもりはなく、合奏で皆に迷惑を掛けない程度に自分で練習している感じでした。
高校も吹奏楽部の活動が盛んな学校に入学しました。今度こそ中学の時に果たせなかった夢を果たそうと思い、入部の受付場所まで行くと、先輩方から入部届の用紙を手渡されました。用紙には、「これまで担当した楽器」と、「担当してみたい楽器」を書く欄があり、サクソフォン(サックス)を吹きたかった私は、担当した楽器欄には何も書かず、担当したい楽器に「サックス」と書こうと考えていました。
でも、ふと手を止め、吹奏楽の初心者扱いされるのも嫌だと思った私は、担当した楽器欄に「テューバ」と書くとすぐに、担当したい楽器の欄に「サックス」と書き始めました。ところが次の瞬間、先輩に手首を素早くつかまれて他の先輩たちがいる所へ連れて行かれ、「テューバを吹ける後輩が来てくれた」と皆で喜ばれてしまったのです。こうなるともう、自分の希望は言えずじまいです。結局、高校の吹奏楽部でもテューバを担当することになったのです。私とテューバとの結びつきは、私自身にさえ切り離せないほど運命的だったのでしょうね。
それでも、テューバ以外の楽器も吹きたいと思っていたのは確かで、高校2年生の時、大きなチャンスが訪れました。当時、私たち家族はマンションに住んでいたのですが、なんと、そこに東京佼成ウインドオーケストラのアルトサックス奏者で、現在はコンサートマスターを務めている田中靖人さんが引っ越してこられたのです。すかさず田中さんに直談判し、サックスのレッスンに通えることとなりました。その後は学校の勉強と部活が忙しくなり、レッスンは半年ほどで終了しましたが、田中さんとの出会いが今の自分の境遇に導いてくれたと言っても過言ではないと思っています。
高校卒業の時期が近づくにつれて、将来は吹奏楽や音楽に関係する道に進みたいと思うようになり、それにはやはり音大(音楽大学)に進まないとと考え、親にお願いして1年、浪人させてもらいました。その間、当時、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団の奏者で、現在は名古屋芸術大学で講師を務める柏田良典さんから個人レッスンを受けることができました。柏田先生の指導は大変厳しく、前回の課題を十分に予習していないとその場でレッスンを打ち切り、「次からもう来なくていい」と突き放されるので、必死で勉強しました。そのおかげで、1年後には国立音楽大学に合格できたのです。
プロフィル
こんどう・よういち 1978年、千葉・松戸市に生まれる。2001年に国立音楽大学を首席で卒業し、卒業時に矢田部賞を受賞した。02年に東京藝術大学大学院に入学。在学中の04年に大阪市音楽団に入団し、05年3月に同大学院を修了する。同年8月、秋山和慶指揮、大阪市音楽団の演奏でA・ブログのスリーミニチュアを共演。第12回コンセール・マロニエ21金管部門で第1位に、第24回日本管打楽器コンクールで第3位に輝いた。テューバを稲川榮一、柏田良典の各氏に師事する。18年1月、東京佼成ウインドオーケストラに正式に入団した。