TKWO――音楽とともにある人生♪ クラリネット・大浦綾子さん Vol.2
東京藝術大学大学院在学中から、大浦綾子さんはフリーのクラリネット奏者として活動を始めた。コンクールなどに出場する一方、フレデリック・フェネル氏(TKWO桂冠指揮者)が常任指揮者を務める東京佼成ウインドオーケストラ(TKWO)に、継続的にエキストラとして参加するようになり、2001年に団員として正式に入団した。今回は、TKWOと演奏した時の第一印象、そして、フェネル氏との思い出について聞いた。
フレデリック・フェネル氏の人柄に触れて
――東京佼成ウインドオーケストラのことを知ったのはいつですか?
エキストラとして何度も佼成ウインドの演奏会に呼ばれるようになってからです。大学院生でしたから、1989年ごろですね。当時、いくつかのコンクールで入賞させて頂いたことで名前を覚えて頂き、呼んでもらえるようになったのだと思います。実はそれまで、佼成ウインドの存在は知りませんでした。
中高生の頃は、全日本吹奏楽コンクールの全国大会で金賞を取ることを目標に練習していましたし、高校3年生の時には、普門館のステージで、その夢をかなえることができました。ですから、課題曲の参考演奏を務めていた佼成ウインドの音は聴いていたと思います。ただ、当時は演奏団体のことまで意識が及びませんでした。
演奏会のエキストラで声を掛けて頂いた、この時初めて、フレデリック・フェネルさんに会いました。音楽に懸ける情熱の大きさが、楽団を一つの方向に向かわせていく――そうした一体感を、初めてリハーサルに参加した日に感じたことを覚えています。これは、フェネルさんと団員の中で、お互いへの信頼と尊敬がなければ成り立たないと思いました。
ある時、フェネルさんが、本番の演奏中に指揮を振り間違えたことがあります。その瞬間、団員みんなが一気に集中力を高め、ミスにならないようにと判断して、いつも通りの演奏で乗り切っていったのです。全員が、「フェネルさんが振るからには、絶対に良い演奏にしたい」という強い気持ちがなければ、そんなことはしません。もしも演奏が崩れても、団員からすれば、「指揮者がミスをしたから」と言えば良いだけのことですから。でも、絶対にそうはしません。それはフェネルさんへの「愛」があるからではないでしょうか。
――大浦さんが思い出すフェネルさんの印象的な姿とは?
「イエ・バンクスとボニー・ドゥーンの川のほとり」(P.A.グレインジャー作曲)を振っている時の柔らかな表情ですね。一番思い浮かびます。「音楽がいとおしくてたまらないんだ」――そんな声が聞こえてきそうな、うっとりとした顔でした。
演奏中のフェネルさんの表情は、まるで“音楽そのもの”であるかのように豊かで、自身の考えがそのまま表れているようでした。ですから、当時の団員はみんな、フェネルさんのその時々の表情から、「フェネルさんがほしいと思う音はこれだ!」と感じ取り、演奏していたと思います。