TKWO――音楽とともにある人生♪ クラリネット・大浦綾子さん Vol.1

生徒の気持ちを大切にしてくれた恩師の姿

――吹奏楽にどんどん引き込まれていったのですね

そうですね。学校では部活が終わった後もすぐに帰らず、個人練習をしていました。すると、ホルンとコントラバスパートだった親友2人がそれを見て、一緒にやりたいと言ってきて、毎日、部活が終わっても3人で居残って練習していました。

ただ、当時の私たちは、どう考えてもおかしな演奏をしていたと思います。というのも、そのスコアに記されているクラリネットパートはA管用に書かれているのに、私はそれを知らず、自分の持っているB♭管でずっと演奏していました。つまり、私だけ、二人より半音高い音色で吹いていたのです。

今思うと、きっと、すごい“ハーモニー”だったに違いありません(笑)。その演奏は、音楽の先生で吹奏楽部の顧問でもある竹林孝紀先生にも聞こえていたはずなのですが、先生からは一度も、間違いを指摘されたことはありませんでした。それどころか、私たち3人を「ブレーメンの音楽隊」と名付け、遅くまで練習していると、「おい! ブレーメンの音楽隊! もう帰るぞ」と声を掛けてくれました。この時、先生から間違いを指摘されたり、厳しく指導されたりしていたら、私はクラリネットが嫌いになってしまったかもしれません。作品に興味を持ち、実際に演奏してみよう――どう演奏するかより、まずはその意欲を大事にして、見守ってくださっていたのだと思います。

――音楽を好きになる、そのことを大切にしてくださったのですね

きっと、そうだと思います。実際に、竹林先生の授業を受けていると、先生自身が、音楽が大好きなんだと感じることがありました。ある時、授業でベートーベンの「運命」を聴くことがあり、先生は、生徒全員に一冊ずつ、ポケットスコアを配ったのです。私たち生徒が理解できるかどうかは別として、「これを見ながら聴いてみよう」と促したのです。私は楽譜を目で追いながら音色に耳を傾けていました。

演奏が第3楽章から第4楽章に移り、盛り上がる場面に差し掛かった時です。先生はスコアを指でぽんぽんと叩きながら、「先生はなあ、ここが好きなんやあ」と、しみじみと話し始めたのです。私は、ただポカンと、先生の幸せそうな表情を観察していましたが、次第に、先生が心から音楽を愛しているからこそ、そうした表情になるのだろうと思っていました。大人の心をつかみ、熱くさせる、音楽のすごさを感じましたね。

――音楽の道を志したのは?

音楽家になることまでは考えていませんでしたが、中学3年生の秋には、一生クラリネットを吹いていこうと決意しました。高校受験を控えていたら、部活を引退し、それまで楽器の練習に注いでいた時間を受験勉強に充てると思います。ところが私は、勉強のためにクラリネットを吹かない日など信じられず、仮に高校入学までの数カ月だけであっても、楽器から離れたくありませんでした。幸い、幼少期から習っていたピアノを続けていたこともあり、私は、音楽大学への進学を前提に、地元の高松第一高校音楽科を志望し、入学しました。卒業後は、武蔵野音楽大学、東京藝術大学大学院へと進み、フリーのクラリネット奏者として歩み始めました。

プロフィル

おおうら・あやこ 香川・高松市に生まれる。武蔵野音楽大学卒業、東京藝術大学大学院修了。在学中からフリー奏者として活動を始め、1990年からフランスに留学。92年、パリ12区コンセルヴァトワールを一等賞で卒業。2001年に東京佼成ウインドオーケストラに入団。10年には、デビュー20周年記念リサイタルを浜離宮朝日ホールで開催し、同時にソロアルバム「Grand Duo Concertant」をリリースした。現在、洗足学園音楽大学客員教授を務める。