TKWO――音楽とともにある人生♪ テューバ・小倉貞行さん Vol.1

米国留学から戻り、佼成ウインドへ

――実際、ボボさんに師事されたのですか

はい。東京藝術大学に進学し、3年生になった頃、留学への思いが強くなりました。それで、演奏をテープに録音し、ロサンゼルスにあるカリフォルニア芸術大学大学院で教えていたボボさんに手紙を書き、送ったのです。

大学を卒業後、カリフォルニア芸術大学大学院に2年間留学し、ボボさんに師事することができました。大学院を卒業後は、オーケストラのオーディションをいくつか受け、オークランド交響楽団で5年間、演奏活動を行いました。

――東京佼成ウインドオーケストラと出合ったのは

中学生の時から佼成ウインドのレコードはたくさん聴いていました。演奏家としては、アメリカで演奏活動を続けながら、夏休みを利用して日本に一時帰国した際に、エキストラで呼んで頂いて、演奏していました。そんな中、私の所属楽団が財政難になり、存続が危うい状況になりました。「日本に帰るかもしれない」。そう周囲に話していたら、佼成ウインドから声が掛かったのです。1987年にオーディションを受け、入団しました。

――30年にわたって佼成ウインドで演奏してきた中での思い出は

一番は、佼成ウインドの桂冠指揮者を務め、吹奏楽の新たな世界を切り開いたアメリカ出身のフレデリック・フェネルさんと、数多くのコンサートを行えたことですね。アメリカ留学の経験から通訳を任されることも多く、とても親しくさせて頂きました。

吹奏楽は、軍楽隊が発祥とされています。そのため、元気な曲をとにかく大きい音で演奏しながら行進するという考えが根強く、吹奏楽でもそう演奏されていました。しかし、フェネルさんがアメリカで始めたイーストマン・ウインド・アンサンブルは、音の捉え方がそれまでと全く違いました。オーケストラのようなシンフォニックなサウンドを求め、クラシック曲にも同じ精度を追求し、吹奏楽のオリジナル曲もたくさん作られました。そういう意味で、世界中の吹奏楽のイメージをガラリと変えた、まさに吹奏楽の第一人者です。その方との出会いは、私にとって大きな経験になりました。

プロフィル

おぐら・さだゆき 1957年、神奈川・藤沢市生まれ。79年、東京藝術大学音楽学部卒業。同年、パリで行われた第1回モーリス・アンドレ国際ブラスアンサンブルコンクールに入選。この年、米・カリフォルニア芸術大学大学院に留学し、ロジャー・ボボ氏に師事する。オークランド交響楽団を経て、87年に東京佼成ウインドオーケストラに入団。89年から10年間、同オーケストラ副コンサートマスターを務める。また、フィルハーモニア・ブラス・クインテットのメンバーとして4枚のCDを録音した。現在、平成音楽大学、洗足学園大学、大阪芸術大学大学院で講師も務める。