他の人に手を差し伸べてプラスポイント 落語家、僧侶・桂米裕氏
皆さんはこれまで、自分の人生を左右するような言葉に出合ったことがありますか。家族や恩師、または書物の中から、いろいろなタイミングで、〈あぁそうだ!〉と心が震えるような、感動的な言葉と出合ったことがあるでしょう。その時の思いは、今も皆さまにとって、光り輝き続けているでしょうか。一度それを振り返ってみるのも、これから歩む人生の方向を見定める上で大切なことではないかと思います。
今日はテーマに、『相互供養~おかげさまの生活』を掲げました。私は、今は亡き桂米朝師匠や、多聞寺の前住職だった義父の大きな理解があったことで、落語家と僧侶の両方をさせて頂いています。まさしく私は、おかげさまの生活をしており、修行を通じて培った落語家としての“技”を皆さんのために使わせて頂こうと思い、おしゃべりさせて頂いております。私にとっては、これも供養の一つの形です。
供養というのは、「供に養う」と書きます。供養する側、される側が共に感謝の念を深め、心穏やかになるものです。
ご先祖さまをただ拝むだけで供養になるかと言ったら大間違い。日頃からあらゆる物事に気持ちを向け、心を配り、他の人に手を差し伸べて、善業を積むことが大切です。善業とは、分かりやすく言いますと、「プラスポイントとなる行為」。日常生活の中でいかに善業を積み上げられるか、というのが宗教生活の重要な点です。例えば、困っている方や苦しんでいる方の助けになることで自分のポイントがプラスされます。
一方で、知らずしらずに犯した悪業(マイナスポイント)を善業(プラスポイント)で埋めて中和していくその作業を「回り向かう」と書いて、回向といいます。日常の生活で回向する方法があります。例えば、お掃除をする時に心を込めて行う。仏壇の前や、心の中で仏さま・ご先祖さまを一心に思う。また、毎日皆さんが読誦(どくじゅ)されている経典にある「三帰依」の中では、「仏法僧の礼拝(らいはい)行を繰り返していけば、善業を積み上げる近道になる」と教えています。
さらに、「相互供養」について少し触れてみましょう。例えば、ここに100人の人が集まっているとします。そこにいる皆が皆、“自分だけの願い”を唱えたら、その祈りは一人分にしかなりません。しかし、一人ひとりが互いに「皆さんの願いが成就しますように」と唱えると、どうでしょう。その祈りは自分以外の99人分、つまり99倍にもなるのです。不思議な気持ちになりませんか。これが、相互供養なのです。
ですから、願いというのは、自分のことを祈るんじゃない。人のことを祈ってこそのレベルアップの修行でございますから、その実践をぜひして頂きたいと願っています。
(6月10日、立正佼成会北広島教会で行われた婦人部大会から)
プロフィル
かつら・よねひろ 1963年、大阪市生まれ。84年、桂米朝に入門。その後、92年に高野山真言宗で出家。現在、多聞寺、圀勝寺住職を務める。