志を立てるのに遅すぎるということはない 江戸時代の“立志論”に学ぶ 往来物研究家・小泉吉永氏

四つ目に大事なこととして、「堅固な志は内省(ないせい)から生まれる」ということです。志は、自分を見つめ続けることでより堅固になりますが、町人の実践道徳を説いた石門心学(せきもんしんがく)書の一つである『蒹葭反古集(けんかほごしゅう)』には、「内省が深まると『自分』というものが無くなる」と説かれています。志の堅固な人は自分の非をも知っているから、常に求め続け、自らを誇ることがないというのです。同書は、武士の道も、和歌の道も、「自我」を取り去って初めて極められると教えています。結局、志を立てて道を極めれば、自分へのとらわれをなくすことができるのです。

私はこれを聞くと、道元禅師の「仏道をならうというは自己をならうなり、自己をならうというは自己を忘るるなり」(『正法眼蔵=しょうぼうげんぞう=』)という言葉を思い出します。このように、自我を取り去った志こそ、本当の「大志」なのでしょう。

最後の五つ目は、「大志は引き継がれる」ということです。佐藤一斎は、「志、不朽に在れば、則(すなわ)ち業も不朽なり」(『言志耋録=てつろく=』)と述べています。たとえ、自分が生きている間に志を達成できなかったとしても、それが永久に朽ちない大事なことであれば、それを引き継ぐ人が必ず現れると教えています。立派な志は継承されていくのです。

志を立てることに遅すぎるということはありませんが、特に若い人には、自らの志について考えてみることが何より大切だと思います。立志によって人生の舵(かじ)を正しく取り、これからの時代をより良く生きていってほしいと願っています。

(3月6日、立正佼成会練馬教会の青年部向けオンライン学習会「きみならできる!」の講演から。文責在記者)

プロフィル

こいずみ・よしなが 1959年生まれ。読み書き教科書「往来物」の研究者で、江戸時代の教育や庶民文化に精通する。大学講師のほか、講演や執筆活動も続け、テレビ番組にも出演する。『心教を以て尚と為す―江戸に学ぶ「人間教育」の知恵』(敬文舎)など著書多数。川口教会所属。

ホームページ「往来物倶楽部」 http://www.bekkoame.ne.jp/ha/a_r/indexOurai.htm