皆で支え合い築き上げていく 希望とは「家」のようなもの 東京大学教授・玄田有史氏

ある時、言葉の関連性を調べる研究をしている方と出会いました。その方に、明治時代から続く日本最古の日刊紙「毎日新聞(当時・東京日日新聞)」の内容を全て取り込んであるコンピューターで「希望」と縁の深い言葉を調べてもらったところ、一番最初に出てきたのは、「水俣」という言葉でした。

全国に先駆けてごみの分別回収を始めた熊本・水俣市は、環境への意識が高く、現在では、環境モデル都市に選定されています。一方、水俣病という公害が起きた場所で、多くの命が失われ、多くの人が健康を害した町でもあります。

私は東日本大震災発生後、以前市長をされた方(吉井正澄氏)にお会いするため、水俣市を訪れました。元市長は、東京電力福島第一原子力発電所事故により、今後、住民の方々が偏見や差別、誤解を受けて苦しむのではないかと心配され、水俣での経験や教訓を福島で生かしてほしいと、訴えられました。

水俣は長年、絶望や失望といった厳しい状況に置かれてきました。それでも挫折や試練、困難などの経験をしながらも、その苦しみを和らげたいと願い、未来を信じ、希望を忘れることなく、多くの方々が努力してこられたのだと思います。

実際、希望を持って何かに取り組んでいる人のことを調べてみると、過去にご自身や家族などが大変な困難や試練を乗り越えている場合が多いことも分かりました。釜石市で希望学の研究を進めてきたのですが、ある経営者の方とお会いした時、「希望って何でしょうか」と質問すると、こんな答えが返ってきました。「棚から牡丹餅(ぼたもち)はない。動いて、もがいているうちに何かに突き当たる。それが希望じゃないだろうか」。それから私たちは、希望を与えたり、与えられたりするというよりは、みんなで支え合いながら、一人ひとりがつくっていくものだと思うようになりました。

希望とは、家のようなものです。“希望の家”は、「気持ち(Wish)」「具体的な何か(Something)」「実現(Come True)」「行動(Action)」の4本の柱があって初めて完成します。希望がない、あるいは希望が持てないとすれば、四つのいずれかが見つかっていないのかもしれません。自分で柱を一つ一つ立ち上げていけば、どんな状況でも、希望を見いだすことができるはずです。

(6月9日、立正佼成会釜石教会発足60周年記念式典で行われた講演から。文責在記者)

プロフィル

げんだ・ゆうじ 1964年、島根県生まれ。学習院大学経済学部教授などを経て、現在、東京大学社会科学研究所教授。経済学博士。専門は労働経済学。2005年から「希望学」の共同研究を進める。著書に『仕事のなかの曖昧な不安』『ジョブ・クリエイション』『働く過剰』『人間に格はない』『希望のつくり方』などがある。

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