逃れられない苦も仏さまの贈りもの 教恩寺住職・やなせなな氏
出張される仏さま
2年後、私を待ち受けていたのはデビューさせてくれた会社の倒産、そして子宮体がんの発症でした。29歳の時です。死にたくなかったので、当然、私は生きる道を選びました。代償は、子供を産むのを諦めることでした……。体調も優れず、歌手としての夢も絶望的になり、何のために生きているのか分からない。「仏さんなんか、ほんまにいるんか」。自暴自棄になり、歌うことも、お寺を守ることも何もかも放り投げてしまいました。
毎朝ご飯をお供えする仏壇に仏さまがいる、と私は考えていました。でも、そこには仏さまはいらっしゃらず、私たちの縁の中、“間”に仏さまは出張してこられるようです。私たちは一人ひとり、仏さまになるための種を頂いていて、仏さまは私たちが仏になれるようにと、さまざまな働きとなって現れてこられます。
“自暴自棄”を続けていた日のことです。仏さまは友人の姿をして私の前に現れました。「死んでしまった方がよかった」「もう歌えない」と自分で自分を損なうようなことばかりを口にする私を、友人は「しょうもない」と突き放します。「私たちは与えられた命を生きている」。その命を友人は振り子時計に例え、「おまえは、まだ動く振り子時計を自分で止めようとしている」と厳しくとがめ、「がんはつらいと思うけど、それと音楽は関係ない」「死んだ方がよかったなんて言って、それでもおまえは坊さんか」と畳み掛けてきました。“人は死んだらおしまいという命を頂いていない”と歌で伝えようとしていた私が、死に直面し、“命は死んだら終わってしまうもの”と本心を見失っていたのではないか……。平手で頰をはたかれたような衝撃を受け、目が覚めたのでした。
別の友人の勧めもあり、寺で歌を歌って自分の身の上を話すことにしました。そして、さまざまな苦しみを抱える人たちに出会いました。「私も同じ病気をしたから、あんたの気持ち分かる」と泣いてくれる人、耳が聞こえなくても手話を見て一生懸命に聞いてくれる人、握手会で差し出された手が木だった人もいました。<私はどうして自分だけが不幸だと思っていたのだろう>。家庭、職場、近所付き合いなど人間のいるところには必ず苦があります。みんな、その苦をたった一人で背負って生きています。苦しい独りぼっちの人生だからこそ、人は人と手をとり合いたいのかもしれません。そして、仏さまは仏さまで、私たちが追い詰められる時まで決して現れてくださらないのです。ここに仏さまのお心があります。