被爆の記憶を受け継ぎ、非戦の誓いと平和の尊さ語る 広島被爆体験伝承者・細光規江さん
私は広島市の被爆体験伝承者として被爆者の証言を受け継ぎ、これまで多くの方々を前に講演を行ってきました。これからお話しするのは、12歳で被爆した笠岡貞江さん(85)の証言です。
広島に原子爆弾が落とされた1945年8月6日。当時、高等女学校の1年生だった貞江ちゃんは、おばあさんと両親との4人暮らし。きょうだいはそれぞれ、進学や結婚、学童集団疎開などで家を離れ、別に生活していました。
貞江ちゃんは、広島市内の爆心地から約3.5キロ離れた江波町にある自宅で被爆しました。おばあさんと2人で朝ごはんを食べ、後片付けをして、洗濯物を裏庭に干し終えて家の中に入ったその時です。突然、目の前のガラス窓が一面、ピカッとオレンジ色に光ったかと思うと、爆風でガラスが粉々に割れて破片が頭に刺さり、血が流れました。でも痛みはあまり感じません。おばあさんは無事でした。
しばらくして、爆心地から2キロのところに出掛けて被爆した近所のおじさんが帰ってきました。その姿はやけどで皮膚が変色し、顔や腕は皮がむけてピンク色に光っています。他にも、やけどで皮膚が垂れ下がった人が大勢逃げてきました。〈幽霊だ……〉。そう思いました。
貞江ちゃんの両親は、当日の早朝に爆心地から1キロ先の市街地に行っていました。空襲による火災の広がりを防ぐため、建物をあらかじめ壊して防火帯(空き地)をつくる建物疎開作業に当たっていた時に原爆が投下され、そのまま行方が分からなくなっていました。