【漫画家・魚戸おさむさん】“病気を治さない医者”の物語

人生の終末期を自宅で迎えたい――。漫画『はっぴーえんど』(小学館)は、死を間近に控えた患者の願いをかなえるため在宅医の主人公・天道陽(てんどうあさひ)が奮闘する姿を描いている。この作品の著者で、日本の「在宅医療」の現場を初めて漫画にしたのが、魚戸おさむさんだ。命を見つめ、死と向き合う“異色”の漫画を通じて伝えたかったこととは何か。新緑がまぶしい季節、その思いを聞きたくて魚戸さんのアトリエを訪ねた。

患者の望みをかなえる

――在宅医療を漫画のテーマに選んだきっかけは

10年ほど前、札幌で暮らす妻の両親と弟が重い病を得て、相次いで亡くなりました。ほんの3年の間に近しい存在を3人も失い、〈人はあっけなく逝ってしまうんだ〉と思ったのです。僕にとって、これが死は特別ではないと気づかされた体験になりました。

生前、義母は連れ合いを亡くした後、一人で暮らし、在宅診療を受けていました。医師の診療中に見舞いに訪れた時、偶然目にした光景が忘れられません。診察というより、旧知の友人が近況を語り合い、世間話に花を咲かせているようにしか見えなかったからです。帰り際に手を振りながら義母が見送ると、その医師も「また来ますからね」と、笑顔で手を振って応じていました。こんなにも距離の近い医師と患者の関係があるのか、と強烈な印象を受けました。

また義母が緩和ケア病棟に入っていた頃には、こんな話を聞きました。義母が同室の方に娘婿の僕が漫画家をしていると話したところ、「私のようながん患者や、その家族の気持ちを描いてほしい」と言われたそうです。死を身近に感じ、在宅医の存在にも興味を持ち始めていた僕は、その言葉を耳にして、終末期医療をテーマに在宅医を主人公にした漫画を描いてみようと思い立ったのです。それが、“病気を治さない医者”の物語『はっぴーえんど』でした。

――漫画誌の連載にあたって、全国の在宅医を取材されていますね

北海道から九州まで7人の在宅医の診療活動に付いて回ったのですが、そこでも僕が抱いていた医師へのイメージはことごとく覆されました。

福井県の医師を訪ねた際には、100歳の患者宅に同行しました。先生は、ベッドの端に腰かけて「体調は、いかがですか」とにこやかな表情で声をかけます。そのおばあちゃんも、うれしそうに笑みを浮かべ、全幅の信頼を寄せている様子が見て取れました。許可を得て、聴診器を通してその方の心音を聞かせてもらうと、「これが、100年間生きてきた人の鼓動か!」と感動したことを覚えています。

僕が出会った医師のほとんどが、ベッドに腰かけたり肩を抱いたりして、とてもフレンドリーに接するのですが、それだけではありません。患者を取り巻く環境に関心を払い、わずかな変化を見逃さないのです。診療先の家族の関係性から、キッチンや庭の状態、部屋に掲げられた写真、花瓶に挿された草花の種類に至るまで、さまざまな事柄にアンテナを張り巡らせていました。

©魚戸おさむ/小学館

なぜ在宅医は、そこまでするのでしょうか。漫画の主人公・天道陽の言葉を借りれば、「在宅医の仕事は患者さん一人一人の特別なオーダーメイドであって、患者さんが望むことを叶(かな)えてあげること」だからです。一人でも多くの患者が、その人らしく、余命を生きること。僕は、その意味を在宅医と患者の姿から学びました。

例えば、滋賀県で在宅診療所を営む医師は、余命を考えた上で、患者に「ご飯が食べられなくなったら、どこで暮らしたいですか」と尋ねるそうです。すると、大部分の方が自宅療養を希望するとのことでした。その医師は「『病院で治療が施せなくなったから、仕方なく家に帰る』のと、『残された時間を家族と一緒に楽しく、少しでも幸せに過ごそう』という理由で在宅診療を選ぶのとでは幸福度が全然違う。だから私は、患者さんに後者を選択してもらえるように全力を尽くします」と熱を込めて語ってくれました。

ただ、患者自身がいくら在宅診療を望んでも、受け入れる側の家族の同意と協力がなければ、その願いはかないません。家族関係がこじれているのであれば、仲を取り持つ役割を果たす。患者にとって、在宅医は医療者であるとともによき相談相手、親友や同志のような存在と感じました。患者と笑い、時には涙をこぼす在宅医はきっと少なくないと思います。そんな人間くさい部分も取り入れながら、主人公のキャラクターを作り上げていったのです。

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