【大峯千日回峰行大行満大阿闍梨・塩沼亮潤さん(福聚山慈眼寺住職)】この世には多くの苦難が 「慈しみの愛」で助け合って

写真=慈眼寺提供

いつの時代も真実を理解して、「自らの心を明るく前向きにし、いかに地に足をつけて歩んでいくかが大事」。大峯千日回峰行大行満大阿闍梨(だいあじゃり)の塩沼亮潤師はそう語った。一方、困っている人には「思いやりの心を」と話した。新型コロナウイルスの影響によって、日常生活が大きく変化する中で、不安を抱える人は少なくない。コロナ禍の受けとめ方や、夢を抱いて生きる秘訣(ひけつ)について話を聞いた。

自分を信じてくれる、応援してくれる人の存在は何より心強い

――コロナ禍をどのように受けとめていますか

人類の歴史を振り返ると、今回のようなパンデミック(世界的大流行)は周期的に発生しています。自然災害と同じく、いつ、どこで起こっても不思議ではありません。感染症の流行は周期的に起こるものであり、避けられないのが現実。ですから、そのように受けとめ、現状でできることをしたいと考えています。

仏教では、この世は「一切皆苦」と教えています。つまり、自分の思い通りにいかないことばかりだというのです。

中でも、「生老病死」は、人間が生きていく上でどうしても逃れられない苦しみです。自分の思い通りにいく人生なんて存在しない、絵に描いたような幸せが永遠に続かない。そういう意味では、生まれてきたことが苦といえます。さらに人は病気にもなり、老いは避けられず、そして必ず死を迎えます。

ですから、ままならないのが人生であり、一難去ってまた一難の繰り返しと受けとめて、自らの心を明るく前向きにし、いかに地に足をつけて歩んでいくかが大事です。

――不安が多い中で、心の不調を訴える人が多くいます。特に若者たちのストレスは大きいようです。若者たちが元気な社会をつくるにはどうしていけばいいでしょう?

結論から言うと、まず私たち大人が楽しくしていないといけないと思いますね。互いに支え合ったり、励まし合ったりしながら、思いやりを持って明るく前向きに生きる。そんな魅力的な大人たちが身近にいれば、若い人たちもおのずと〈あの人のようになりたい〉と感化されていくでしょう。

ですから、彼らをどうするかと考える前に、まずは大人が人生を楽しんで歩むことが一番の近道のように思います。

さらに大人は批判者ではなく、彼らのよき理解者になってあげてください。自分を理解してくれる人がいれば、孤独だと落ち込むことはありません。たった一人でもいいのです。自分を信じてくれる、応援してくれる人の存在は何より心強いものです。

私が大峯千日回峰行で、あまりのつらさに心が折れそうになった時、心の支えになったのは、母と祖母が故郷の仙台で私のことを思って祈ってくれているということでした。そういう見えないつながりがあって、祈りや心が伝わってきたからこそ、どんなにつらい行であっても乗り越える勇気が湧いたのだと思います。

コロナ禍となり、常にマスクを着用する生活が続き、仕事や大学などでの授業はリモートでというのが広がっています。「こんなはずではなかった」と思っている人もいるでしょう。

しかし、大学生であれば、大きく学ぶと書いて「大学」ですから、「オンライン授業ばかりでつまらない」「友人との交流ができない」と嘆くよりも、「将来、世の中に貢献するために勉学に励む機会を頂けた」と大きく学ぶ気構えで一歩踏み出してみてはいかがでしょうか。どんな些細(ささい)なことでも興味、関心が湧いた物事を大切にしていけば、夢や目標が思い浮かんでくるはずです。

――大峯千日回峰行に挑まれる中で、どのように自身を見つめ、高めたのですか

大峯千日回峰行は、一日48キロの山道を歩き、16時間かけて1719メートルの山を上り下りする荒行です。これを千回繰り返せば満行です。ただし、私が重視したのは9年がかりの千日間をどういう心構えで行じるかということでした。誰が見ていようがいまいが、決して手を抜かず、後で悔やまないように修行に挑みました。

誰でも、初めて山に挑む時には体がいうことをきかず心身のバランスを崩しがちになります。でも、なぜそうなったのかを自ら探求していくと、これからどうなっていくのかと冒険心も湧いてきます。探求と冒険心との連続で自分を磨いていくわけです。だから、楽しくて仕方がないのです。

修行中は、自分でも驚くほどの勇猛果敢な気持ちと大自然への畏敬の念からくる謙虚さが同居しているような有り難い心境でした。今、振り返ってみても、手を抜いた記憶がなく、その後の人生への自信につながっています。

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