【大峯千日回峰行大行満大阿闍梨・塩沼亮潤さん(福聚山慈眼寺住職)】この世には多くの苦難が 「慈しみの愛」で助け合って

困難に直面するたびに工夫を重ね、壁を乗り越えて今が…

――困難な状況に置かれても、自分を高めていけるのですか

どんなに苦しい状況も必ず変化していくものです。まして、自分がそれに合わせて変化できれば、苦の捉え方も変わります。新型コロナウイルス感染症も、これまで人類が直面した感染症と同じく、いずれ必ず収束していくはずです。

また、私は困難があるからこそ、自分を高めてくれると考えています。今から約20年前、32歳の時に師匠の元を離れました。そのまま本山でつとめていれば、僧侶として安定していたかもしれません。しかし、それでは「井の中の蛙(かわず)になる」との直観がありました。

そこで、裸一貫からスタートすることにしました。新たに寺をつくったのですが、檀家(だんか)はありませんから、そこを頼りにすることはできません。講演をしたことも、原稿の執筆も経験がなく、その中で生活し、修行し、どう教えを伝えていけばいいのか、まさにベンチャーの気持ちでした。最初は本当に苦しかったですが、困難に直面するたびに、「じゃあ、どうする?」と自身を見つめて工夫を重ね、壁を乗り越えてきて、今があります。

――現在、思い描いている夢はありますか

世界中の人々を笑顔にしたいと思っています。私は、小学5年生の頃、白装束をまとい、颯爽(さっそう)と山々を駆け回る酒井雄哉大阿闍梨の姿をテレビで見て、強い憧れを抱きました。仏教に興味があったわけでもなければ、僧侶になりたかったわけでもありませんが、そうした気持ちが湧いたのです。ただ、多くの人の役に立つようになりたいという漠然とした思いはずっとありました。

それには、こんな理由があります。私は母子家庭で育ちました。生活にゆとりのない、まさに困窮家庭でした。ところが、当時は人情味があって、よく近所の方からおすそ分けを頂戴(ちょうだい)しました。母はそのたびに、「ありがとうございます」と、泣きながら頭を下げるのです。支えてくださる皆さんの気持ちと、感謝する母の後ろ姿を見ていたら、自然と〈みんなのお役に立てるような人間になりたい〉と思いますよね。その思いが修行に入ってからも増幅して、今日に至っています。

仏教学者の中村元先生は、仏教とは「慈しみの愛」と表現されています。いつの時代も、そうした心で人と触れ合っていくことが大切です。特に、コロナ禍で苦しい生活を送っている人が増えていますから、一人ひとりが「慈しみの愛」を基に、助け合って現状を乗り越えていくことが必要です。日本人には、和の精神が息づいていますから、ぜひ困っている人への思いやりをお願いします。

今後、誰もが経験したことのない混迷の時代を迎えるかもしれません。環境が大きく変化する可能性もあります。しかし、どんな時代が訪れても、私たちは思いやりの心を忘れず、仲良く力を合わせて世の中を明るくしていこうではありませんか。そこにこそ、本当の幸せがあります。

プロフィル

しおぬま・りょうじゅん 1968年、宮城県生まれ。高校卒業後、吉野山金峯山寺で出家得度。99年、吉野・金峯山寺1300年の歴史で二人目となる大峯千日回峰行満行を果たす。翌年、四無行満行。2006年、八千枚大護摩供満行。現在、仙台市の福聚山慈眼寺住職を務める。主な著書に、『人生生涯小僧のこころ』(致知出版社)、『人生の歩き方』(致知出版社)、『寄りそう心』(プレスアート)