【映画監督、脚本家・村橋明郎さん】余命宣告受けた男の物語を映画に 懸命に自分らしく生きる姿を伝え
余命宣告を受け、残された時間を自らの墓造りに費やし、臨終を迎えるまで懸命に生きた男の物語を描いた映画『山中静夫氏の尊厳死』が、今年2月から全国で順次公開されている。この映画の監督・脚本を務めた村橋明郎氏は、理想的な最期を迎えられるかどうかは、死に方ではなく、いかにその人らしく生きたかによって決まると語る。映画の製作を通じて見つめた人の生死、作品に込めた思いについて聞いた。
父を看取り、老いと死を考え 長年温めていた企画を作品に
――この映画を製作した動機は何ですか
この作品は、末期の肺腺がんで余命を告げられた中村梅雀さん演じる山中静夫が、残された時間を故郷である長野県佐久市で過ごし、自身が入る墓を造りながら最期を迎えるという物語です。
原作は、医師で作家の南木佳士さんが著した同名の小説です。1993年の発刊直後に読み、自分で自らの墓を造るという内容に面白さを感じ、すぐに映画化を企画しました。しかし、映画関係者は皆、口をそろえたように「暗い映画はちょっと……」と言って、見向きもしませんでした。当時は、今のように「終活」という言葉もない時代で、末期がん、余命宣告、墓といったキーワードが重苦しく、敬遠されてしまったようです。それでも、いつか撮ろうと企画を温めていました。
――一度はストップした企画を、なぜ再び?
6年前にふと、この小説を読み直した時、全く古さを感じなかったのです。それどころか、暗いイメージになりがちな人の死を扱っているにもかかわらず、最期まで自分らしく生き抜く主人公の姿がとても前向きで明るく感じられ、胸を打たれました。
私は、改めて小説を読み直す前、父を看取(みと)ったのですが、父は山中と同じ肺腺がんを患い、抗がん剤治療の副作用が強く出て、とても苦しんで最期を迎えました。
そうした姿を見て、自分ならどんな治療を望むのか、余命を告げられたらまず何をしようか、自分の墓をどうするかなど、さまざまなことが頭の中を駆け巡りました。最後まで心に残った問いは、自分はどのように死を迎えようとするのだろうかということでした。
歳(とし)を重ねるうちに、私自身が親を看取り、知人友人の訃報に接する機会が増え、おのずと老いや死について考えることが多くなりました。日本は今、65歳以上の高齢者が人口の3割弱を占める超高齢社会となり、10年後には、その割合が4割に達すると推計されています。かつてないほど多くの人が、自分と同じような問いを抱えて生きているのではないかと考えた私は、今すぐこの作品を撮るべきだと感じ、一気に仕上げた脚本を本作のプロデューサーに見せたことから、映画の製作が始まったのです。
――撮影を通じ、村橋監督自身の死生観に変化はありましたか
私は大学進学で上京するまで地方で暮らし、今は神奈川県に住んでいます。ですから、この作品を撮影する前までは、作中の山中のように、人生の最期を生まれ故郷で過ごし、慣れ親しんだ自然の風景を望みながらお迎えを待つことが、現代人にとって理想的で幸せな死に方だと憧れていました。しかし、撮り終えた時には、それは理想の一つではあるかもしれないが、全ての人に当てはまるものとは限らないと思うようになりました。
地方出身で都市部に生活の基盤を築いた人の誰もが、余生を故郷で過ごしたいと思うとは限りません。また、故郷に帰りたくても帰れない人、帰りたいと思った時には故郷に帰る場所がない人もたくさんいます。だからといって、彼らが不幸せかといえば、決してそんなことはありません。幸せな最期を迎えられるかどうかは、いかにして最後までその人らしく生きられたかが重要で、それで決まるのだろうと、映画の製作を通じて感じました。
【次ページ:普段から自身の最期について家族と語り合える雰囲気を】