【基督教独立学園高校前校長・安積力也さん】次世代のために、今、大人たちがやるべきこと
自分を内側から支える天窓 「祈りの世界」を見いだす
――大人自身の自己との対話が必要なのですね
その通りです。心を「部屋」に例えるなら、他者とつながる人間関係の世界は、「横窓」の関係です。多くの人は、この横窓から見える現実だけが、自分の生きる土俵だと思っています。しかし、私たちはこの部屋に違う窓があることに気づかなければなりません。それは「底窓」と「天窓」です。
底窓とは、船底から海底をのぞく窓と同じで、自らの内面の奥を見る窓です。人間は誰しもが、突き上げる本源的で固有な願いを持って生まれてきています。ですから、ふたをしている窓を開け、自己対話を通じて心の最深欲求に気づき、試行錯誤しながら成長していくのが本来なのです。
一方、天窓は、天空からの光が注ぐ窓で、人知を超えた信仰の世界を仰ぎ見る窓です。日本人の多くは無宗教だといわれますが、「無信仰」ではない。人間は横窓の他者関係を苦労しながら生きる中、もう少し自分を大切にしようと底窓をのぞき、それでもどうにもならない出来事に直面して己の真の無力と限界を思い知る時、初めて天窓の存在に気づくのでしょう。
山形の山奥にある独立学園で校長を務めていた当時、ある高校生が除雪作業中に雪に埋もれて意識不明になる事故がありました。クリスチャンの家で育った彼ですが、そのころは「神も仏もあるものか。早く死にたい」と人生を否定的に見ていました。しかし、この事故に遭って「死」を身近に体感したことで、彼は自らの力が及ばない世界があることを知ったのです。意識が戻り、学校に帰ってきた際、私にこう言って泣きました。
「死の方へ傾斜し続けていた僕を、神様が生きる方へ引き戻してくださった」
彼にとってこの体験が、信仰や祈りの世界を知る大きな契機となりました。こうした大きな出来事でなくても、皆さんも日々の生活の中で天窓を見つけるきっかけは必ずあると思います。
――若者自身は今後、人生をどう歩んでいくべきですか
人はみんな、〈ここにいれば脅かされず、安心できる〉という自分の安全地帯を持っています。これは「保持すべき安全地帯」で、個人の尊厳を守るため、国と対峙(たいじ)してでも死守しなければならないものです。しかし、私はよく、生徒に「そこに居続けると自分自身が腐ってしまう安全地帯もあるぞ」と伝えていました。それは、「出て行くべき安全地帯」で、仲間内でなれ合うだけで、そこにいても新しい自分を見いだせない場所です。真に“私を生きる”ためには、そうした安全地帯から一歩を踏み出さなければなりません。
今は、「安全・安心が保障された道を歩みなさい。そこから外れると、まっとうな人生を歩めないよ」ということが前提の教育や進路指導が主流になっています。しかし、それでは世の中の役割をこなす“ロボット”にはなれても、自分にしかできない仕事と生涯を創造する“人間”にはなれません。
この国に一番必要なのは、個として独立した人格――それには自分を内側から支える天窓、つまり「祈りの世界」を若いうちにしっかりと見いだしておくことです。そうすれば、今後、世の中がどう暗転しても、自立した個として希望を失わない生き方を貫き、周囲と社会を支える柱のような存在になるでしょう。
プロフィル
あづみ・りきや 1944年、栃木県生まれ。国際基督教大学(ICU)在学中にキリスト教の信仰に出遇い、72年に同大学院修士課程修了。『聖書』の人間観に立った人間教育の実践的探究を志し、敬和学園高等学校教頭、日本聾話学校校長、恵泉女学園中学・高等学校校長、基督教独立学園高等学校校長を歴任。著書に『教育の力―「教育基本法」改定下で、なおも貫きうるもの―』(岩波ブックレット)など。