食から見た現代(25) 支援の入口として――配食支援プロジェクト  文・石井光太(作家)

こうして見ていくと、読者の中には兵庫県が相談窓口での支援と並行して行っているヤング・若者ケアラー家庭に対する弁当の配食支援の効果に疑問を感じる人も出てくるかもしれない。

配食支援プロジェクトでは、県は年間に3000食分を想定し、1家族につき原則3カ月、週1回の配食をしている。おおよそ100世帯が対象になるとはいえ、これほど多様な困難を抱える家庭に、週1回のペースで弁当を届けたところで、本質的な課題の解決にならないのではないか。

それについて、胡中氏は説明する。

「ヤング・若者ケアラー家庭への配食事業は、家事負担を軽くすることを目的としていますが、それだけで何もかも解決できるとは思っていません。むしろ私たちとしては、配食事業を家庭にアプローチする手段として位置づけています。

県の相談窓口には当事者以外にも、市町の福祉関係者や学校の教職員が相談を寄せてきます。ある家庭の子どもがヤングケアラーになっているようだが、親の同意が得られずになかなか現状確認や支援をすることができないといった内容もあります。リスクの高い家庭の中には、親自身が福祉とつながることを嫌がり、『うちは何も困っていない』『子どもも問題ない』と支援を拒否することがあります。

このようなケースでは、まずは配食サービスを紹介して受けないかと勧めます。電話なので直接顔を合わせることなく、しかも無料で食事が届くとあって、親はそこまで警戒せず、受け入れてくれることが大半です。

それがうまくいけば、行政と家庭の接点ができます。ここを入口にして、家庭内の様子を電話やLINEで聞き取ったり、困っていることがあれば別の公的サービスにつなげたりしていく。そうやって家庭の内情を把握し、適した支援が受けられるようにサポートしていきます」

もともと親が専門機関や他人に援助希求できる力を持っていれば、早い段階で福祉につながるので問題はさほど悪化することはない。他方、ヤング・若者ケアラーの家庭では、親がそれを拒むからこそ、状況が雪だるま式に悪化していくという悪循環がある。

課題は、こういう家庭にいかに介入するかということだが、胡中氏が話すように配食サービスには気軽に受けてもらえる要素がある。

サービスは、相談員と直に顔を合わさなくても電話一本で受けられる上、実際に配達するのは宅配業者だ。そのため、家族側が行政にハイリスク家庭として警戒されているとの疑念を抱きにくい。

また、一度サービスを受ければ、兵庫県社会福祉士会の相談員はそれを接点にして信頼関係を構築し、家族の困りごとを聞いたり、支援機関を紹介したりすることができる。

このように見ていくと、配食サービスをしている意義がわかるだろう。

行政がヤング・若者ケアラーの当事者にアプローチし、家庭環境の改善ができたとしても、その先にもう一つ立ちふさがる壁がある。

当事者の子たちが障害のような生まれつきのハンディがあったり、対人関係などの能力が乏しかったりすることがあるのだ。そうなれば、環境を整えただけでは、なかなか子どもたちは社会に溶け込み、自立していくことができない。

胡中氏は指摘する。

「ヤングケアラーの子からの相談に応じていて感じるのは、発達障害や特性のあるケースが少なくないことです。診断されている子もいれば、そうでない子もいるので、はっきりと何割とは言えません。ただ、感覚的には、そういう子が一定数いるのではないかと思います。

障害や特性がある子は、第三者が間に入っても、家庭から離れて自由に生きていこうとはなりません。本人の自覚の有無にかかわらず、彼らが抱える生きづらさから、家を出て生活していくことが、難しい状況下にいるのだろうと思います。そうなると、ケアラーの立場から脱せられないということが起こるのです」

私の経験からも、ヤングケアラーの中に少なくない割合で発達障害児がいることは同意できる。

生まれつき自我が強く気丈なタイプの健常児であれば、家庭に多少の問題があった場合、思春期になれば「こんな家庭は嫌だ」と考えて縁を切り、独力で生きていく道を選ぶだろう。特に男性であれば、親から多少のプレッシャーを受けても、腕力で跳ね返せるので逃げやすい。

他方、生まれついての障害がある子は、そもそも生活能力が乏しかったり、意思表示が苦手だったりするので、家庭から離れて自分の力で生きていくという発想を抱きにくい。また、親からの理不尽な言動を跳ね返すことができないので、精神的に支配されがちだ。

このような子は、青年期になっても親と距離を置けず、共依存の関係になることが少なくない。そうなると、福祉が入り込む余地がかなり狭められるので、親子共々どんどん悪い状態になっていく。

さらに胡中氏は言う。

「障害がなくても、長らく家庭の問題に苦しんできた子は、特に対人関係で生きづらさを抱えます。特に高校生くらいまでヤングケアラーだった子はそれが当てはまるかもしれません。

一般的には小学校から高校くらいの年齢で、子どもはいろいろと失敗したり、大人に解決してもらったりしながら、たくさんの経験を積みますよね。その経験値があるから、成人した後に、自分の力で他人とつながることができる。

ヤングケアラーの子の場合は、その経験が乏しい傾向にあるように感じます。だから、しっかりとしている印象があっても、一般的には考えられないような小さなことで失敗してしまう。それが積み重なって生きづらさにつながっていくのだろうと思います」

たとえば、普通の学校生活を過ごしてきた男の子であれば、同級生の女の子と文化祭や部活動で一つのことに取り組んだり、修学旅行で行動を共にしたりするだろう。恋愛経験がなくても、周りの友達がどうやって交際しているのかを目にする機会もある。

しかし、そういう経験が乏しいヤングケアラーの男の子がいた。子ども時代、家庭の事情に振り回され、大概の子がしている経験ができなかったのだ。彼はそのまま社会人になった。

職場で同僚の女性を好きになったが、彼は異性にどう接していいかわからなかった。ある日、彼女が机に忘れ物をしたのを見つけた。彼は勇気を振り絞って声をかけたが、聞こえなかったらしい。そこで後を追いかけ、肩を叩(たた)き、「これ」と忘れ物を渡した。彼女はお礼を言い、何事もなく離れていった。

ここまではどこでもありそうな話だ。しかし、この夜から、彼は自分を責め苛(さいな)みはじめた。自分が肩を叩いたことで、もしかしたら嫌われたのではないかと考え、そこから悪い方へ悪い方へと懊悩(おうのう)しだしたのである。

もし彼が子ども時代に一般的な人間関係を経験していれば、ここまで自分の行動を否定的に捉えることはなかっただろう。

似たようなことは、恋愛に限らずとも、様々な状況で起こりうる。ケアラーとなって子どもとしての経験値を持てなかった人は、このような困難とともに生きるリスクを常に背負っているのである。

 

ヤング・若者ケアラー支援はどうあるべきなのか。

胡中氏は話す。

「第一にするべきなのは、社会ができるだけ早いうちに見つけて支援をつなげることです。早い段階で家庭の状況を改善できれば、それだけ背負うハンディも小さくなります。

しかし、高校生以上まで家庭の課題に時間を費やし続けた子は、大人になってから支援を受けてもすでにたくさんの問題を抱えてしまっているので、自立して生きていくことは容易ではない場合も少なくないように感じます。今の社会に欠けているのは、そういう人たちを社会で支える仕組みだと感じています」

先に挙げた例のように、仮に18歳の時に家庭の問題から自由になれたとしても、先述のような子が同年代の子と同じように人付き合いをしたり、社会になじんだりするのは難しいだろう。彼らが自分の足で立って生きていけるようになるには、後からでも子ども時代に奪われたものを取り戻すことが重要だ。

しかし、日本には18歳以上の人に対するそうした支援が圧倒的に少ない。若者サポートステーションなど就労支援のための場はあったとしても、それ以前のコミュニケーションスキルや生活していく力を育むことのできる支援機関はほとんどないといえる。こうなると、彼らは経験値が少ないまま、野に放り出されるように生きていかざるをえない。

私自身、これまでの取材でそうした人たちが弱みを突かれて闇金の餌食になったり、闇バイトに引っかけられたりするような現場を多数見てきた。ケアラーとして子ども時代の経験値が失われるというのは、そうした社会の暗部に落ちるリスクが高まることでもあるのだ。

胡中氏は言う。

「日本では18歳で成人です。けれど、みんな薄々わかっていることですが、18歳の子はまだ子どもですし、何らかの支援が必要な年代です。自分のことだけでも精いっぱい、そんな中で家族のことにも気を悩ませている子たちが一定数います。ただ、成人ということで18歳以上の支援が抜け落ちてしまっている。そこをどうするのかは、今後、県としてだけでなく、国全体で考えていかなければならないことだと思います」

先日も、胡中氏が対応した家庭で同様のケースがあったという。親を失った四人きょうだいがいたが、下の三人の子は児童福祉による支援対象になったが、上の18歳は「児童」の枠内から外れてしまうそうだ。

これはヤング・若者ケアラーに限った問題ではない。ケアリーバー(児童養護施設など社会的養護を離れ、自立して生活する若者)、知的ボーダーライン(または、グレーゾーン)の子なども同じように18歳で児童福祉の対象から外され、生きていかなくてはならない。

国がヤングケアラーだけでなく、若者ケアラーとして18歳以上の人を対象にしたのは良いことだが、支援体制という点ではまだまだ脆弱(ぜいじゃく)だ。

その社会課題とどう向き合うのか。今後ますます注目されなくてはならない観点だろう。

プロフィル

いしい・こうた 1977年、東京生まれ。国内外の貧困、医療、戦争、災害、事件などをテーマに取材し、執筆活動を続ける。『神の棄てた裸体』『絶対貧困』『遺体』『浮浪児1945-』『蛍の森』『43回の殺意』『近親殺人』(新潮社)、『物乞う仏陀』『アジアにこぼれた涙』『本当の貧困の話をしよう』『ルポ 誰が国語力を殺すのか』(文藝春秋)など多数。その他、『ぼくたちはなぜ、学校へ行くのか。』(ポプラ社)、『みんなのチャンス』(少年写真新聞社)など児童書も数多く手掛けている。最新刊に『傷つけ合う子どもたち 大人の知らない、加害と被害』(CEメディアハウス)。

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