食から見た現代(14) “安心・安全”な食の時間〈前編〉 文・石井光太(作家)
私には、丹氏の「落ち着く」という言葉が腑(ふ)に落ちた。私自身、ネグレクト家庭で育った子どもを何人も取材したことがあるが、ある男の子は親がほとんど帰ってこなかったので、毎日外のゴミを漁って残飯を食べていたと語っていた。小学校の高学年になってからは、お菓子を食べている年下の子を探して、恐喝によってそれを奪っていたという。
彼は当時の自分を振り返って、「あの頃は、今日は飯が食えないかもしれないという不安と恐怖でクソみたいにイライラしていた」と語っていた。サバンナに生きる空腹の獣が凶暴になるのと同じようなものだろう。このような子が施設にやってきて、三食をきちんと保障されれば、安堵(あんど)して言動が落ち着くのは容易に想像できる。
丹氏によれば、施設に来る子どもたちは食事をもらえなかった経験だけでなく、食事の時間そのものに不安や恐怖を抱いていることもあるらしい。彼はつづける。
「子どもたちの中には、食事が“恐ろしい時間”だったと語る者もいます。食事中に夫婦喧嘩(げんか)がはじまったり、保護者が子どもを罵倒したり、酔って食事をひっくり返したりといった記憶があるのです。子どもたちは自分に害が及ばないようにビクビクしながら食べなければならなかった。
こういう子たちがうちに来ると、初めは家でしていたように周りを警戒しながらご飯を食べます。怖いことが起きて、自分にとばっちりが及ぶのではないかと怯(おび)えるんです。でも、ここで食事をしていくうちにだんだんと懸念が小さくなっていって、他の子と楽しくご飯を食べられるようになります」
このような特徴は、一時保護で来る子どもたちがより顕著だという。
児童養護施設は一時保護所という施設を持っており、家庭から引き離したばかりの子どもをそこに入所させる。身の安全を守るシェルターのようなところだ。だが、近年は保護する子どもの数が増えて一時保護所が満室になっていることも多く、その場合は児童相談所に預ける。こうした子たちはつい数時間前まで虐待のリスクにさらされていたこともあって、飢餓感や警戒心が極限に達しているのだ。
こうしてみると、子どもたちにとって児童養護施設で十分な量の温かな食事が保障される意義はとても大きい。人にとって食事は、住居と同様に、最低限のライフラインである。それを確かなものにすることが、回復のスタートラインに立つということなのだ。
児童養護施設の食事の時間に子どもたちが見せるのは、飢餓や不安ばかりではない。適切な食生活を経験してこなかったというのは、常識的な食習慣が身についていないということでもある。
同施設で家庭支援相談員をしている財前美紀氏(55歳)は次のように話す。
「虐待家庭で育った子たちは、食べ物に対してえっと感じるような反応を示すことがあります。たとえば、毎日スナック菓子や食パンしか食べさせてもらっていなかったので、一日三度ちゃんとした手料理を出されると、逆に戸惑いを感じてしまうのです。ごく普通の焼き魚ですら、彼らにとっては見慣れない食べ物なので、警戒心を抱いてなかなか口に入れようとしない。初めて一風変わった外国料理を前にした時のように、『これ、本当に食べられるの?』という反応をするのです。
味付けの偏りもあります。インスタント食品やコンビニのから揚げみたいなものばかりで空腹をしのいできた子は、とても濃い味付けを好みますので、薄味の和食を出されると、大量に塩コショウを振りかけたり、マヨネーズやケチャップをつけたりします。そうしなければ食べられないと言うのです。舌が強い味しか受け付けなくなっているのでしょう」
他に子どもたちの中でよく見られる食習慣の歪(ひず)みとして挙げられるのは、次のようなものだという。
・小学生くらいでも手づかみで食べようとする。
・箸がうまく使えず、何の食べ物でもフォークとスプーンを用いる。
・椅子の上で膝を立てて食べる。
・均等に取り分けて食べるという意識がない。
・三角食べをせず、一品ずつ平らげる。
私自身、似たようなことを方々で見聞きした。ある児童養護施設では、子どもたちにお鍋の料理を出して、みんなで仲良く食べなさいと促したところ、全員が凍り付いて箸を手にしなかったそうだ。理由を聞くと、家族で食卓を囲んだ経験がないので、どうやって鍋をつついていいかわからなかったらしい。
財前氏は話す。
「ここでの食習慣を見るだけで、その子が家庭でどういうふうに育ったかがわかることも少なくありません。ただ、それを直すのも私たちの役割だと思っています。ここで食べ方や料理の味を教えれば、彼らはすぐに慣れていきます。それが子どもたちの自信にもつながっていくと考えています」
子どもたちが施設での生活を通して偏食を克服し、マナーを身につければ、堂々と他人と食を通じてコミュニケーションをとることができる。それは彼らの自尊心を高めることにもつながるだろう。
では、中心子どもの家で日に三度の食事を作っている調理スタッフは何を思って食事を作り、子どもたちと接しているか。次回はそのことを見ていきたい。
プロフィル

いしい・こうた 1977年、東京生まれ。国内外の貧困、医療、戦争、災害、事件などをテーマに取材し、執筆活動を続ける。『神の棄てた裸体』『絶対貧困』『遺体』『浮浪児1945-』『蛍の森』『43回の殺意』『近親殺人』(新潮社)、『物乞う仏陀』『アジアにこぼれた涙』『本当の貧困の話をしよう』『ルポ 誰が国語力を殺すのか』(文藝春秋)など多数。その他、『ぼくたちはなぜ、学校へ行くのか。』(ポプラ社)、『みんなのチャンス』(少年写真新聞社)など児童書も数多く手掛けている。最新刊に『ルポ スマホ育児が子どもを壊す』(新潮社)。