立正佼成会 庭野日鑛会長 1月の法話から

「新」の意味

「新」という字は、つらいという意味の「辛(しん)」と「木」、右には「斤(きん)」という字が組み合わさってできています。つらいことがあっても努力をして、木を大事にしながらよく育てて、それを加工し、新しいものをつくるという意味合いが込められた字です。

私たちは、どんどん努力をしなければ、なかなか新しい人間にはなれないのだということであります。

新年を迎えて、去年とまた違った新たな人間に生まれ変わっていく努力をする。それは決して生(なま)やさしいことではない。そういう意味合いが、「新」の字には込められているということです。新たな気持ちを持って前進していきましょう。
(1月7日)

画・茨木 祥之

まずは家庭から

私は、ここのところずっと、家庭が斉(ととの)うことが、人間の一番のもとではないかと申し上げています。私の好きなこういう言葉があります。

「父は子どもの尊敬の的(まと)でありたい。母は子どもの慈愛の座でありたい。なぜかなら、家庭は子どもの苗代(なわしろ)だから」

苗代とは水稲(すいとう)の種をまいて、苗(なえ)を育てるところです。ちょうど、私たちの家庭の役割がこの苗代にあるということなのです。
(1月15日)

すべての人が救われてこそ

私たちはご供養をする時に、「普回向(ふえこう)」を読み上げさせて頂きます。

願(ねが)わくは此(こ)の功德(くどく)を以(もっ)て
普(あまね)く一切(いっさい)に及(およ)ぼし
我等(われら)と衆生(しゅじょう)と
皆共(みなとも)に佛道(ぶつどう)を成(じょう)ぜん

この「普回向」という短い言葉の中に、はっきりと法華経の菩薩の精神が込められています。

自分一人の救われは問題ではない。この功徳は自分のためだけのものではなくて、世のため人のためのものである。願わくはこれによって、すべての衆生と共に救われていこう――そういう願いがここに込められているわけです。詩人の宮沢賢治のこういう言葉があります。

「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」

宮沢賢治が言っていることと、「普回向」は一つになっていると、私は思います。すべての人が救われなければ私たちの幸福もないと、そういう気持ちで布教、精進させて頂きたいものであります。
(1月15日)

悲しむという心の働き

日本では「悲母(ひぼ)」という言葉があり、母親は子どもの病気やいろいろなことで悲しみます。愛情が深ければ深いほど悲しみます。「愛はかなし」と言って、「愛」という字は「愛(かな)しむ」とも読むのです。そして、「悲しむ」ことは、人間の情緒の中で最も尊い働きの一つであると教えて頂いています。

私たちは、自分の親、あるいはきょうだい、子どものことではよく悲しみます。しかし、そうした人ばかりでなくて、友人のこと、さらには国のことを悲しむようになって初めて文明人であり、そういう気持ちがある人の国こそ文明国だと言われます。

世の中にはいろいろなことがあり、いろいろな事件も起こります。最近は、今まで考えられなかったような事件も起こっております。そうした中で、慈悲の心のあらわれでもある「悲しむ」という心を大事にして、精進させて頂きたいと思っています。
(1月15日)