立正佼成会 庭野日鑛会長 10月の法話から
10月に大聖堂で行われた式典から、庭野日鑛会長の法話を抜粋しました。(文責在編集部)
脳を活性化させよう
認知症にならないためには、日頃から、いろいろ訓練することも大事だといわれています。専門家によると、音読や足し算、引き算の単純な計算が脳のさまざまな部分の血流を増やし、活性化させ、認知症の改善や予防に役立つと期待されているということです。反対に、じっと思考している時は、脳の一部だけが働いていたことが、実験で分かってきたそうです。
ですから、テレビゲームをしたり、黙読したりするよりも、音読の方が脳の活性化にはいいということです。私たち佼成会の会員は、読経供養をしますけれども、毎日音読をする習慣は、脳のためにはとてもいいわけです。もちろん私も、朝夕のご供養はしていますし、私なりに大事な「座右の銘」的なものを書き出して、朝のうちに一人で音読もしています。ますますそうしたことを大切にしていかなければならないと思います。
また、計算も、「3+5」はいくつかという単純な計算の方がいいのだそうです。年を取ってからでも頭の働くこと、脳の活性化が保たれていくことはとても大事です。要は目から文字が入力されて声を出す、自分が発した音声が耳から入ってくるといったことが、とても大事だというのです。そうしたことを心がけるとともに、お年寄りの方々がなるべく、そうできるような環境にして差し上げることが大切になります。日頃の生活の中で取り組んでいきたいものです。
(10月1日)
縁起を見る
「それ縁起を見るものは法を見る。法を見るものは仏を見る」という言葉があります。縁起とは、その定義として「これあるが故に、かれあり、これ生ずるが故に、かれ生ず。これなきが故に、かれなく、これ滅するが故に、かれ滅す」と説かれています。
大きく考えてみますと、私たちは宇宙と一体であり、宇宙全体で一人の命を生かしてくださっているということです。自分もその一体の中の一人の人間です。縁起とは、もう全てが、関わり合っているということであります。
宇宙全体の縁起は複雑で広大であり、詳しいことはとても私たち一人ひとりの人知では分かりません。しかし、仏教の中で縁起が説かれているということは、この縁起によって私たちは物事の成り立ちや、どうして苦しいのかということすら解いていけるわけです。そうした仏さまの教えに結縁(けちえん)されたことに本当に感謝していかなければならないと思います。
「縁起」という言葉は、仏教の教えをたった二文字で表していますけれども、非常に深いものがあります。私たちは今、そうした教えを頂いて、日頃の生活の中で苦が出てきたらどう解釈するか、どう解決していくかということを学ばせて頂き、実践させて頂く中で救われていくのです。
(10月1日)
先輩たちの心に倣って
私はたまたま何年か前に、昔の「小学国語読本」を手にし、以来、それを読んでいます。明治の頃に発行され、終戦までに5回ほど改訂されたそうです。
日本人の魂、精神に触れたものがありまして、それを一つ一つ読ませて頂くと、本当に素晴らしいことが載っていると感じます。小学生がこうした「読本」を読むことによって、読書の能力もつくでしょうし、心がとても成長すると思います。
開祖さまも脇祖さまも明治生まれでありますし、大正、また昭和の一桁生まれくらいまでの方々は、こうした「読本」に養われて、心も立派に育っていたのではないかと思います。そうした経験をされた方々によって、佼成会が誕生したのです。
私たちもまた、先輩の方々に倣(なら)って、さらに今日的な意味合いで世のため人のためになるような佼成会にしていかなければならないと思います。「開祖さま入寂会(にゅうじゃくえ)」を迎えまして、そうした心を私たちもしっかりと受け継いで、本当の宗教教団としてのあり方を皆さまと共々に考えていきたい――そんな思いで、今日は「小学国語読本」を紹介させて頂きました。
(10月4日)
時間の使い方を考えよう
こんな言葉があります。
「われわれは短い時間をもっているのではなく、実は、その多くを浪費している」
セネカ(ルキウス・アンナエウス・セネカ。ローマ帝国の政治家、哲学者)という人の言葉です。私も高齢になりまして、振り返ってみますと、時間は今日(こんにち)まで本当にあったわけですけれども、浪費したというような感じもするわけです。
今また、コロナ禍で、家からあまり外に出ない、出られない方も多いと思います。そうした中で、こんな言葉もあります。
「多くの自由な時間を持つことのできる人間は大抵悪いことを考えるものである」
これはスピノザ(バールーフ・デ・スピノザ。17世紀オランダの哲学者)という人の言葉です。心にグサッと刺さる感じがします。
中国の古典の『大学』にも、「小人(しょうじん)閑居(かんきょ)して不善をなす」とあります。心の小さい、器量の小さい人は暇(ひま)でいると、つい善くないことをする、という意味です。
こういう洋の東西の言葉を通して、時間を善く使うよう心がけることが本当に大切だと感じます。
(10月15日)
「いろは歌」を味わう
日本では仏さまの教えがいろいろな形で表現されています。その一つに「いろは歌」があります。これは、仏教の「諸行無常(しょぎょうむじょう)」「是生滅法(ぜしょうめっぽう)」「生滅滅已(しょうめつめつい)」「寂滅為楽(じゃくめついらく)」という教えを邦訳したもので、日本独特のものです。
「いろはにほへと(色は匂へど) ちりぬるを(散りぬるを) わかよたれそ(我が世誰ぞ) つねならむ(常ならむ) うゐのおくやま(有為の奥山) けふこえて(今日越えて) あさきゆめみし(浅き夢見じ) ゑひもせす(酔ひもせず)」
「いろは歌」をよく味わってみますと、「情」というものが込められていて、いかにも日本でつくられた感じがします。和歌とか俳句とかいろいろな表現もあり、そうした中で日本人らしく捉えていく、そして身につけていくことが多いように思います。その最も典型的なものが「いろは歌」ではないでしょうか。
そういう意味で、「いろは歌」を通して「諸行無常」「是生滅法」といった仏さまの教えを、しっかりと味わって、自分のものにしていきたいものです。
(10月15日)
【次ページ:「いつも学びの姿勢を」「ごく自然に信仰を」「物事を深く知る人とは」「世界の平和は足元から」】