立正佼成会 庭野日鑛会長 7月の法話から

7月に大聖堂で行われた式典から、庭野日鑛会長の法話を抜粋しました。(文責在編集部)

私の体は私のものではない

江戸時代前期の儒学者、博物学者である貝原益軒先生の次のような言葉があります。

「人の身は父母を本(もと)とし、天地を初(はじめ)とす。天地父母のめぐみをうけて生(うま)れ、又養はれたるわが身なれば、わが私(わたくし)の物にあらず。天地のみたまもの、父母の残せる身なれば、つつしんでよく養ひて、そこなひやぶらず、天年(てんねん)を長くたもつべし」

私たちは、自分の体は自分のものだと簡単に受け取りがちですが、「父母を本とし天地を初とする」といわれています。天地の「みたまもの」――天地から賜ったもの、授かったものということです。「父母の残せる身なれば、つつしんでよく養ひて、そこなひやぶらず」の「そこなひやぶらず」とは、傷つけることのないようにということ。「天年を長くたもつべし」――「天年」とは自然の寿命、つまり天命、天寿のことです。

私たちは、「自分でこの世に生まれてきた」「自分の身は自分がしっかりやっていく」というようなことを簡単に言いがちです。しかし、よく考えてみますと、この言葉の通り、天地、父母の恵みを受けて生まれてきたのです。「養はれたるわが身なれば、わが私の物にあらず」と、本当にそう思います。

こうしたいのちにかかわる尊い言葉を学びながら、自らのいのちを大切にし、世のため人のためになることが、先人の言葉に適(かな)う生き方と言えます。
(7月1日)

健康の秘訣は心を元気に

貝原益軒先生はまた、健康を保つ「養生(ようじょう)の術」として、こうも述べています。

「養生の術は先(まず)心気(しんき)を養ふべし。心を和(やわらか)にし、気を平らかにし、いかりと慾(よく)とをおさへ、うれひ・思ひをすくなくし、心をくるしめず、気をそこなはず、是(これ)心気を養ふ要道なり」

「要道」とは、大切な方法という意味です。ここに述べられているように、とかく私たちはいろいろなことを気にして、心が硬くなってしまいます。「苦心」という言葉があるように、私たちは自分で自身の心を苦しめてしまうことがあります。「心をくるしめず、気をそこなはず」――そうしたことが、「心気」を養う大切な方法であると、丁寧に教えられているのです。こうした言葉をしっかりとかみしめて、自らのものにしていきたいものです。
(7月1日)

いのちに畏敬の念を

明治時代の伯爵である副島種臣(そえじまたねおみ)という方の歌にこういうものがありました。

あやにあやにかしこくもあるか天地(あめつち)の御稜威(みいつ)の中に立ちたるわれは

これは、「私が大宇宙の威光のただ中に生きてあるということは、何と不可思議で、畏(おそ)れ多いことではないか」という意味です。いのちに対して畏敬の念を持たれた歌であります。

人間のいのちを頂いたことを深い思いで見つめ、それを態度に示し、世のため人のためになっていく大事さがこの歌からも分かります。コロナ禍の中で、いのちというものの意味合いをしっかりとつかんで、精進していくことが大切です。
(7月1日)

先人の恩恵を受けて、今がある

地球上には、人間だけでなく、さまざまな動物、植物が存在しています。何千万年、何億年という生物の長い歴史の中で、私たちの祖先が勤め励んでくださったおかげさまで、人間は「真・善・美」を理解し、それを願いながら、私たちはこの地上に生まれ出(い)でたのです。先人が努力されたおかげさまで、今日の文明・文化もあります。そのような長い歴史の中で育てられてきたのが私たち人間なのです。

そのことをしっかりと心しておく。そして自らのいのちを大切にし、世のため人のために尽くして社会に還元していく――そう決意して精進していきたいと思います。
(7月1日)

「省心」を忘れず

今年も半年が経ち、いよいよ後半に入りました。今年の書き初めに『省心(せいしん)』――心を省みるという言葉を書かせて頂きました。半年が過ぎた今、改めて『省心』の意味を振り返って、人間として尊いいのちを頂いていることに気づいていきたいと思います。人さまのお役に立つような人間にならせて頂きたい、そのために精進させて頂きたいという気持ちです。
(7月1日)

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