立正佼成会 庭野日鑛会長 12月の法話から
毎日が修行の最中
「弥陀は今日唯今修行最中(みだはきょうただいましゅぎょうさなか)」という言葉があります。「弥陀」は、「仏さま」と言っていいかと思います。仏への道ですから、「これで菩薩行を卒業できる」ということはありません。
辞書を引くと、「最中」には、まず「物事の真ん中、中央、中心」という意味があります。二番目に、「まっさかり、最中(さいちゅう)」。それから、「最中(もなか)の月」(十五夜の月、満月)に似ている丸い和菓子のこと。こうした三つの意味があります。
「今日唯今修行最中」ですから、人生の修行というものは、本当に果てがないわけです。毎日毎日、多くの方々に教えをお伝えする――私たちは、その修行の最中(さなか)にあるのです。
(12月15日)
百年への誓願
私はこれまで、教団創立百年に向けて、人材を育成し、立派な教団をつくり上げていきたいと申し上げてきました。そういう意味で、創立八十年とは、百年に向けての一つの大きな節目だと思います。
天台宗など伝統仏教の教団は、歴史が千年を超えています。私たちの教団は、まだ八十年であり、「新興宗教」と言われたこともありました。世間的には、百年経ってみないと本当の評価はできません。
私たちはしっかりとした気持ちで、百年を迎えていきたいと思います。
(12月10日)
大いに真似、学ぶ
「真似(まね)をする」ことは、大変大事です。人がしていることを見て、そこから学んで、自分でするようになる――それが「真似ぶ(学ぶ)」ということです。
私たちが大切にしている朝夕のご供養、お導き、法座にしても、自分から進んで行ったというより、人を真似て、ようやくできるようになったわけです。こうしたことをたどっていくと、お釈迦さまにつながります。お釈迦さまが教えてくださったことを私たちが学び、実践しているのです。
そういう意味で、私たちは真似ることを大事にしていかなければなりません。人の真似は良くないというのではなく、人の真似をして、人としての生きがいを持つ人間になることが大切です。私たちは、先輩のおかげさまでできるようになるということですから、真似るとは、精進の姿と言えます。
(12月10日)