立正佼成会 庭野日鑛会長 12月の法話から

12月に行われた大聖堂での式典から、庭野日鑛会長の法話を抜粋してまとめました。(文責在編集部)

殻を脱いで柔軟に

よく結婚式などで、めでたいものとして、海老(えび)が出てきます。海老は、永遠の若さを象徴しています。なぜかと言うと、海老は生きる限り、いつまでも殻(から)を脱いで固まらないからだそうです。

柔らかい海老がありますね。殻を脱ぐと柔らかくなるのです。秋になって、万物がだんだん固まっていく時期に海老は殻を脱ぐのだそうです。生きる限り殻を脱いで固まらない、いつまでも若さを失わない――そういう意味で、海老が、めでたい時に使われます。

そのように、私たちも生きたいものですが、どうしても殻が固くなってしまって、融通(ゆうずう)の利かない、頑固な人間になりがちです。自分の殻、仕事の殻、会社に入れば会社の殻、役所に入れば役人の殻……そこからなかなか抜けられないのが普通です。私たちも、生きる限りは固まらない海老のように、どんどん創造、変化をしていくことが大切であり、それが精進に当たると思います。
(12月1日)

いのちの見方

春の桜の花が咲くのは、ほんの数日くらいです。そして散っていきます。どんな花でも、散らない花はありません。

桜が見頃の時に、風が吹いたり、雨が降ったりすると、「ああ風が吹いて花が散ってしまう」とか、「雨が降って花が散ってしまう」とか言いますが、風が吹かなくても、雨が降らなくても、花は散っていくのです。このことは、植物だけではありません。私たち人間も、全ての人が生まれて、亡くなっていきます。

私たちは、人が亡くなると、「ご不幸で」という言葉を使いますが、花が散るように、全ての人が、生まれ、そして亡くなっていきます。

正しく見れば、正見すれば、死ぬのが不幸で、死なない人が幸運という分け方はできません。死は、幸福、不幸という対象にはならないのです。

今、全ての人が、生きている以上は、呼吸をしています。毎日、食事もします。この呼吸をしていること、食べることに対しては、誰も、良い悪いは、言いません。ですから、死ぬことだけに、良い悪いと言うことはおかしいわけです。本当につらいという思いはありますが、私たちは、いのちの死に対して、こうしたしっかりとした見方を持っていることがとても大事です。
(12月15日)

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