バチカンから見た世界(112) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)

アフガニスタンの選手がオリンピックに初めて参加したのは1936年。だが、女性選手が参加できるようになったのは、タリバン政権が崩壊してから3年後の2004年だった。タリバンが再び政権を掌握したことで、パラリンピックのテコンドー女子に出場が決まっていたザキア・フダダディ選手は8月7日、イタリアのANSA通信を通して「アフガニスタンのスポーツ選手、特に、女性選手を守るため、国外へ退避させてほしい」と国際社会に訴えた。

彼女の切実な訴えは、「ニューヨーク・タイムズ」紙などによって世界に伝えられ、各国の元スポーツ選手たちのグループ、特にカナダの元オリンピック選手で、オーストラリア・シドニーで弁護士を務めるニッキー・ドライデン氏を中心とするグループが、アフガニスタンで生命の危険にさらされる可能性のある選手たちのリストを作成し、オーストラリア政府にその救出を要請した。23日、ANSA通信は、ザキア選手や同じくパラリンピックに出場が決まっていた陸上男子のフセイン・ラスリ選手をはじめ男女のスポーツ選手らがカブール空港を出発し、ドバイ経由でオーストラリアに向かっていると報じた。それによれば、オーストラリア政府は、彼らに「人道ビザ」を発給したという。アフガニスタンの車椅子バスケット女子チームの主将で、女性の人権擁護運動指導者のニロファー・バヤト選手が、車椅子バスケット男子チームの選手である夫と共にスペインへ避難し、現地のチームでプレーできるようになったとも報じられた。

ローマ教皇フランシスコは25日、バチカンでの一般謁見(えっけん)の席上、前日に開幕した東京パラリンピックに言及し、「希望と勇気の証を示す選手たちに挨拶し、感謝の意」を表した。それは、「彼らがスポーツに取り組み、一見して克服できないように思える困難を乗り越えられる姿を明示してくれる」ことへの敬意によるものだ。

多くのスポーツ選手たちが後にしたアフガニスタンでは26日、国外に退避しようとする人々で混乱するカブール空港付近で、2件の爆弾テロが発生し、170人のアフガニタン人と13人の米軍兵士が亡くなったと伝えられる。その後、「コラサン地区のイスラーム国」が犯行声明を出した。一方、パラリンピック出場を断念していたザキア選手とホサイン選手が28日に東京に到着し、ANSA通信は大きく報道した。日本のメディアは、両選手がオーストリアの軍用機でアフガニスタンを出国後、「ドバイ経由でパリに入り滞在していた」と報じている。朗報であるものの、国外へ避難したアフガニスタンのスポーツ選手たちにとって、オリンピック創設の理想であった平和と、スポーツを通した社会変革への道は、まだ遠い。