バチカンから見た世界(85) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)

「貧者をキリスト教の予言(真理)のアイコン(聖像)」と呼ぶ教皇は、貧者に対して力を振るう者たちを(物質的に)「富める人」とは呼ばない。むしろ、「神のみならず、隣人をも忘れ、彼らを蔑視する者たち」との考えを有している。その理由は、神や隣人を忘れた人々が、「貧者との距離を広げるために壁を構築し、他者を廃品のように扱う」とし、「彼ら(貧者)の伝統をさげすみ、その歴史を抹消しようとし、土地を占領し、資源を奪う」者たちであるからだ。

「他者から略奪し、私たちの兄弟と私たちの姉妹である地球を傷つけてきたという過去の過ち」を無視するかのように行動し、「私のエゴという宗教が、偽善の儀式と“祈り”を続けている」とも発言している。「日曜日に祈り、ミサに行くキリスト教徒たちの中にも、この私のエゴの宗教の信徒となっている者がいる」と、その主張は手厳しい。自国第一主義を掲げ、難民の流入を阻止するために国境に壁を構築し、難民や移民を恐怖の対象として国民を扇動するポピュリスト政権に対する、明らかな非難でもある。

カトリック教会は、貧しいがゆえに社会から見捨てられ、自らは罪人であると認識し、神へ全ての希望を託す人々を癒やし、救っていく「野営病院」でなければならない、と説く教皇。そのために、世界や社会の「僻地(へきち)」(忘れられた地域、地理的、実存的な底辺)に向けて積極的に「出掛けていく教会」でなければならないと呼び掛ける。聖書のエピソードにあるように、盗賊(私のエゴという宗教の信徒)に暴行、略奪され、道端で嘆き苦しむ旅人と神の被造物(地球環境)を慰め、癒やす「善きサマリア人」の役割を果たすべきカトリック教会は、世界に「貧者の選択」という福音のメッセージを伝えるために、世界の諸宗教とも対話・協力を進めていくというのだ。

こうした教皇フランシスコの、教皇選出以来の一貫した主張の背景には、中南米における現代の精神性と政治イデオロギー形成に大きな影響力を与えてきた「ペロン主義」と「解放の神学」があるといわれている。現代のアルゼンチン政界において、依然として強い影響力を行使するペロン主義勢力――同国大統領に3回当選したフアン・ペロン氏(1895-1974)が提唱したペロン主義に関する歴史的評価はさまざまだ。だが、この影響下で育ったローマ教皇は、大統領が施行した政治政策よりは、「社会正義、貧者、搾取されている人々、社会的に恵まれない人々との連帯、労働に対する高い評価、より高い理想(ペロン氏にとっては国家、教皇は神の王国)の達成という視点から、金銭崇拝の資本主義に対する攻撃」といった政治イデオロギーに強く惹(ひ)かれた、といわれている。

一方、第二バチカン公会議(1962-65)後の刷新の清風が吹く南米大陸で、第1回庭野平和賞受賞者のヘルダー・ペソア・カマラ大司教(ブラジル人、1909-99年)らが実践して見せ、神学者のグスタボ・グティエレス神父などによって体系化されていった「解放の神学」は、政治、経済、社会的に抑圧されている人々の解放を、「貧者の選択」という視点から、その選択は「福音(聖書)のメッセージ」であると主張したものなのだ。